ヴェロニカ外伝
夕暮れ時の露台
 夕暮れ時というのは、最も注意が必要な時だ。
 なにせ、昼番と夜番の兵士が入れ替わる。そんなときは、自然と空気が慌ただしくなる。
 それに、あたりが闇に包まれ、急に視界がきかなくなり足元も悪くなる。
「前後左右見ただけでは捕まえられぬぞ! 地面に耳を付けて音を聞け! はいつくばって縁の下を覗け!」
 鋭い号令に、はっ、と応じる男たちの声。いずれも、非常に緊迫している。
 どんな凶悪な犯罪者が出たのかと、人々は思うだろう。
 だがここはリーカ国の王宮。
 しかも、王子王女の育つ、王宮の最奥に位置した建物だ。そう滅多に犯罪が起こる場所ではないし、起こってはならない場所である。
 駆け回っていた兵士たちの一人が、あっ! と叫んで建物の一部を指さした。
「グーレース隊長!」
「どうした?」
「露台から露台へ飛び移る人影を見つけました!」
「なに?」
 グーレースと呼ばれた壮年の男性が駆けてくる。
 兵の言う方向を見れば、白い外壁の建物が夕焼けで赤く染まる中を小柄な影がタンタンッ! とリズミカルに飛んでいる。
 時には愛用の棍を使って、棒高跳びでもするかのように、自在に宙を移動している。
「なんと……」
 小柄な影の纏うドレスと長い髪が風に靡く。
 人影は、屋根の上でとまった。愛嬌のある可愛らしい顔をした王女が、地上の兵士たちを眺めている。
 どこか誇らし気でもある。
「王女! ヴェロニカさま! 危険です。お部屋にお戻りください!」
「グーレース、ちょっといってきまーす!」
「どこへ行かれるのですか! 門限!」
 軽やかに宙を駆ける王女は、夕日を背負ってあっというまに姿をくらましてしまった。

 遅れ馳せながら露台へ立ったグーレースは、ううむ、と唸った。
 露台と露台の距離は、決して近くはない。
 それに、高さも相当なものだ。失敗して落ちたら、大怪我――どころではない。命を落とす恐れもある。
 その上、夕方は足元が良く見えない。
「参ったな……」
 だから、けた外れに活発だとはいえ、十五にも満たぬ年若い王女が窓から逃げるとは思っていなかったのだ。
「……ヴェロニカさまは……さほど訓練をしていないのに、厳しく訓練を積んだ兵士に匹敵するお方か……」
 これは王が頭を抱えるはずである。
 ヴェロニカは、日々勝手に王宮を抜け出している。子供の足と体力では大したことはできないだろうと見逃していたのだが、ヴェロニカの運動能力や戦闘能力は並ではない。
 どこで何をしているのか、大至急調べる必要があるだろう。
「しかし……面白い王族もいたものだ」
 退屈な王宮勤めが楽しくなりそうだ――。
 王女の守役を仰せつかった近衛隊長・グーレースが小さく笑った。
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