楓の季節
新入生歓迎会の翌日から、フレッシュマンウィークが始まった。フレッシュマンウィークというのは、キャンパスの中に各サークルや部活がブースを出し、新入生を勧誘する、というイベント。

私は、学部説明会で配布された『サークル一覧』に載っている各サークルのブースの配置図を見ながら、興味のあるサークルや部活のブースを探していた。
今日見に行ってみようと思ったのは、弓道部と茶道部、それとオーケストラ。
でも、ものすごい量の人でなかなか見つけられない。
「ねえねえ、チアリーダー部に入らない?」
「国際交流サークル、ISEC(アイセック)です!入りませんか?」
「テニスサークルに来たら、たくさん知り合いができてとても楽しいよ!」
おまけに、ちょっと進むたびにいろんなところから声をかけられるので、それを断りながら進むのはとても時間がかかる。

「ダンスサークルなんだけど、興味ない?そんなに練習はきつくないし、いっぱい遊びに行く企画とかあって楽しいから、仮入部だけでもしてみない?」
「あ、他に入りたいところあるので大丈夫です…」
「あ、今晩とかは入部するしないに関わらず、歓迎飲み会やるから、よかったら来ない?もし来てくれるんなら、特別に参加費無料にしちゃうよ?」
「あの…結構です。それに、未成年なので飲めないですし」
「なーに硬いこと言っちゃってんの?みんな1年生だって未成年だけど飲んでるよ?いいじゃん、ちょっとくらい」
「いえ、あの、本当に結構です」
なにこの人、なんか今までのと違ってすごくしつこい。だんだんとイライラしてきてしまった。
あまりにもしつこいので、無視して去ろうとしたら、腕を掴まれた。
「なにやっているんですか、離してください」
「ねーねー、いいじゃん。アルコール飲まなくてもいいからさ」
「いい加減にーーー」
「おい、なにやってんだよ。彼女嫌がってんだからやめてやれよ」
聞き覚えのある声がして振り向くと、そこには橘先輩が立っていた。
「え、俺には嫌がっているようには見えなかったけどなー」
しつこい人がシラを切る。
「あれが嫌がってなくてなんなんだよ。馬鹿かお前は。あと、この子候補要員だから、下手なことするとお前が痛い目に遭うよ」
「候補要員?まじで?それはやばいな」
「わかったならさっさと解放してあげて」
やっとしつこい人から解放されたので、私はさっさとそのブースを離れた。

「大丈夫だった?あのサークルは、ダンスサークルとは名ばかりの、うちの大学では有名な飲みサーなんだよね。大抵あそこにいるやつらは女の子目当てで行ってるから、気をつけたほうがいいよ」
「本当に助かりました。ありがとうございます。あの、ちょっと気になったんですけど、『候補要員』ってどういうことですか?」
「うん、まあそれは追い追いわかることだから、今は気にしなくていいよ。あ、行きたいところってある?うちの弓道部に来る?」
うまくはぐらかされた気がするけど、しょうがない。
「弓道部、行ってみたいと思っていたんです。でも、どこにあるのかなかなか見つけられなくて…」
「本当?今はちょうど体験もできるから、じゃあ行ってみようか」
そのような流れで、橘先輩に案内してもらって弓道部を見に行くことになった。

弓道部のブースには、白と黒の袴姿の人たちがたくさんいた。
袴を着た人ってすごくかっこいいと思う。橘先輩が着たらさぞかっこいいことだろう。
橘先輩はブースにいる人に声をかけると、私を道場に案内してくれた。
「よし、これが弓で、これが矢ね。経験者だから、説明なくても大丈夫だよね?」
「はい、大丈夫だと思います」

弓道は、中学の時に1年ちょっと、部活でやっていた。中学校を中退した後も、辞めたくなかったから、週に一回のペースで、市の体育館にある道場に通っていた。

弓に触れるのはすごく久しぶり。本格的に受験勉強を始めて以来、一度も触れていなかったから、いつぶりだろう。
何度か深呼吸をして心を落ち着け、一旦弓と矢を床に置くと、射法八節をさらう。そのあとに、弓を構え、矢を引き絞って狙いを定める。ふっ、と短い息を吐くと同時に矢を放つ。
矢は的に刺さった。他に道場にいた人たちから感嘆の声が上がる。
「楓ちゃん、すごいね。経験者とは聞いていたけど、これほどだとは思わなかったよ。筋がいいね」
橘先輩がほめてくれる。照れてしまって、ぺこり、と頭をさげると、弓道部の主将と思しき人が近寄ってきた。
「橘、この子知り合い?」
「知り合いというか…同じ学部の後輩で、俺がサポーターをしている班にいるんです」
「なるほどね。ねえ、君さ、うちに入らない?すごく筋がいいと思うから、試合で優勝とかも夢じゃないと思うよ」
「うーん、私もちょっと興味はあるんですけど練習が多い部活だと、あまり練習に出られないと思うんです」
「そっか…じゃあ案内だけでも渡しておくから、入りたいと思ったらまた来てくれる?4月の3週目まで入部できるからね」
「あ、ありがとうございます」
「うんうん、来てくれると嬉しいな。僕は藤堂司、って言います。君の名前も聞いておいていい?」
「藤堂先輩…ですね。御園生楓です。よろしくおねがいします」
弓道はとても好き。大学で続けられたらとても楽しいと思う。だけど、もう2箇所は回らないと決められない。

次に、橘先輩に案内してもらって、オーケストラを見に行ったけど、なんだかしっくり来なくって、入団しなかった。
そのあと、部活のブースに戻るという橘先輩と別れて、茶道部の部屋に向かった。
茶道部の部屋は、運動棟の一階にあった。茶道部の人に案内してもらって中に入ると、そこはちゃんとした和室になっていて、襖で二間に区切れるようになっている。ちゃんと茶道のための道具が揃っている。
部屋の端にあるタンスの中には何が入っているのかな。
「あ、入部希望者?」
部屋にいた先輩らしき人が、私を案内してくれた人に聞いた。
「うん、かな?先輩、あとはお願いしますね」
「はいよー」
私を案内してくれた人はすぐに部屋を出て行ってしまった。
先輩、と呼ばれた人は、私に向き直ると、
「えーと…じゃあ、まず自己紹介。私は朝日黒江(あさひくろえ)って言います」
「あ、御園生楓です。よろしくお願いします」
「よろしくね!とりあえず、体験でもしてみる?それとも説明だけにする?」
「体験、してみたいです」
「おっけ!じゃあ…着物も着ちゃおっか。今日はあんまり人がいなくて暇だから、特別ね」
先輩はにっこり笑うと、箪笥の前にひざをついて、中から着物を取り出した。
桃色の生地に色とりどりのお花が刺繍されている着物と、薄桃色の帯。それを、私に着付けてくれた。
「じゃあ、初めてだろうから、とりあえず作法とか気にしないで楽しんで?」
そう言って、先輩はお茶を点ててくれた。
お茶碗の中に、美しい緑色のお抹茶が入っている。一口飲むと、ふわっとお抹茶の香りが広がる。
この味が凄く好き。
小さな和三盆のお菓子を口に入れると、すっと溶けて甘さが広がる。
程よい苦味のお抹茶と、甘すぎない上品な味の和三盆の相性は抜群。

ひと段落つくと、先輩から茶道部についての説明を受けた。
活動は週に2回で、お昼休みにこの和室で行われる。そのうち1回は外部から先生が来て教えてくれる。
オープンキャンパスや、その他のイベントの時には、外に場所を設けてお茶会をやることもある。
あとは、留学生に日本の文化に触れてもらうために、体験してもらうこともあるらしい。
茶道だけじゃなくて、着物の着付け、色の合わせ方も教えてもらえる、というのですごく魅力的。
週2回の活動、っていうのも負担にならずに済みそう。
「どう?今日入部手続きしちゃう?それとももうちょっと考える?」
「今日入りたいです」
「よかった!じゃあ、この入部届に名前を書いてね。活動日は月曜日と水曜日で、時間は12時45分から、場所はこの部室ね」
入部届に名前を書いて朝日先輩に渡して挨拶をしてから、和室を後にした。
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