楓の季節
うっすらと意識が浮上してくる。私は寝るときにカーテンを開けっぱなしにするので、朝日がたっぷりと入ってくる。
目を閉じていても感じる眩しさ。鳥の鳴き声が聞こえて、リビングでお母さんが動き回っている音がする。
そっと目を開けて左を向くと、清々しい青い空が見える。目をこすってから起き上がると、私の大好きな部屋を見渡せる。
壁を背にして部屋を見渡すと、右の壁際には無垢材でできたナチュラルカラーの机がある。その横からもう一方の壁まで天井まである作り付けの本棚がある。下の方には楽譜がたくさん入っていて、上の方には文庫本が入っている。真ん中あたりにはハードカバーの本が入っている。一角には、まるでハリーポッターに出てくるような古い書物のようなデザインのハードカバー本が集めてある。私の趣味の一つだ。
真正面はUVカットのガラス張りで、縦ブラインドを閉められるようになっている。普段は開けっ放しだけど、さすがに夏になると暑すぎたりするので、たまに閉めることがある。
左には、小さなシンクとIHコンロがある。そして、その横にある小さな棚は2段になっていて、上の段には電気ポットとティーポット、ハーブティーや紅茶の葉っぱとカップ、下の段にはアロマランプやディフューザー、たくさんのアロマオイルが入っている。そしてその並びに、服を入れてあるクローゼットがある。
壁は3面が白色で、私が背にしている壁がミントグリーン。部屋の真ん中、ベッドに座った時に真っ正面になるところの窓際には、楕円形のナチュラルカラーの木材でできているコーヒーテーブルと、芝生のような色をしている小さめの2人掛けソファがある。
ナチュラルな木の色と緑色の部屋は、私の一番好きな空間。
机の上にかけてある時計を見ると、7時半になったところだった。

今日は土曜日。

私はベッドから降りてスリッパを履くと、まずシンクに向かい、顔を洗った。化粧水とホホバオイルで整えた後は、保湿クリームを塗ってベビーパウダーをはたく。そうすると、1日中顔がテカらずに済む。
次にクローゼットに向かい、黒のレギンスパンツと薄い水色のチュニックニットを着る。
髪の毛は、天然の毛を使ったブラシで何回も梳くと、ツヤが出てくる。
私の髪の毛は、結構しっかりとした髪質で、かなり頑固なストレート。何度かパーマをかけてみようとしたけど、1週間と持たなかった。
かなり長い間伸ばしているから、長さは腰まで来ている。
自分的には結構気に入っていて、枝毛が出ないように大切に伸ばしている。色は、お母さん譲りの薄茶色で、ちょっと茶色を薄めたみたいな、柔らかい茶色。

身支度を整えてリビングに向かうと、ちょうどお母さんが朝ごはんの支度を始めるところだった。
「おはよう、お母さん」
「あ、楓、おはよう。今朝の朝ごはんはちょっと特別にエッグベネディクトにしようと思うんだけど、どう?」
「いいね!私も手伝うよ」
台所のシンクの下からちょっと浅めの大きな鍋を出す。その中に7cmほど水を張って、火にかける。
その間にお母さんは冷蔵庫から材料を出して、ソースを作る。
私は鍋が沸騰する前に、卵を10個出してから鍋の中にポーチドエッグを作るためのシリコンカップを10つ並べた。このカップは、前に聖兄がどこかのお店で見つけてきた便利なもので、これに卵を入れてポーチドエッグを作ると、崩れることなく完璧なものを作れる。初めて見た時には、すごく感動したのを覚えている。
お湯が沸騰すると、急いでお母さんと一緒に卵を1つずつカップに割り入れていく。火を小さくして、蓋を閉めてからタイマーを設定すると、マフィンをバットに並べてオーブンで少し温める。

朝食の準備をしていると、お父さんと聖兄、そして一番上の兄の樹兄(いつにい)が起きてきた。
「おっ、いい匂いだな」
「あら、お父さんおはよう。もうそろそろで出来上がるから、コーヒーを淹れてくれる?あ、樹と聖はカトラリーとマグカップを出してくれる?」
「あいよ」
「りょうかいー」
お母さんがテキパキとお父さんと兄たちに指示を出す。樹兄と聖兄は食器棚から食器を出している。

マフィンが温まる頃にはポーチドエッグも出来上がっていたので、マフィンを2枚ずつパン皿に並べて、ルッコラを敷き、その上にポーチドエッグを乗せる。その上からたっぷりとソースをかけて、ダイニングに運ぶ。
ダイニングテーブルの上にはすでにコーヒーが4つ、マグカップに注がれて置いてあり、もう1つのカップにはドライフルーツをたっぷり入れた紅茶が入っている。私以外の人たちはコーヒーを飲むけれども、私は紅茶を飲む。コーヒーが嫌いなわけではなくて、朝一にコーヒーを飲むとトイレが近くなってしまうので、朝食の時には飲まないというだけ。

「いただきます」
みんなが朝食を食べ始める。
ナイフをエッグベネディクトに入れた瞬間に、卵の黄身がトロッと出てくる。
この瞬間がたまらない、っていつも思う。
黄身が流れ出ちゃうのはもったいないようで、でも見たいような気がして、いつもちょっと楽しみにしている。

「今日の予定は決まってる?」
樹兄が聞くと、お母さんが答える。
「特に何も決めてないのよね…楓とか聖はやらなきゃいけないこととかあるの?」
「僕は特にないかな」
「っ……私は、履修登録をしちゃえばいいだけだから、特に何もないよ」
口の中のものを飲み込んでから答える。
「そう、じゃあ今日は久しぶりにみんなで買い物でも行く?」
「それいいな!じゃあ入間にあるアウトレットにでも行くか?」
お父さんがニコニコしながら提案する。
確かに、家族揃って出かけられる日なんてそうそうない。
「兄貴、久しぶりに楓の服を選べるんじゃない?」
聖兄がイヒヒと笑いながら言う。樹兄も穏やかに笑いながらそれに答える。
「そうだな、最近は忙しくて一緒に出かけることもできなかったし。そういえば、まだ入学祝いを買っていなかったね?よし、楓、今日はなんでも買ってあげるから遠慮なく言ってね」
「あ、ありがとう。なんだかいつも申し訳なく思っちゃう…」
お母さんは、樹兄を見て「本当に、相変わらずねぇ」とケラケラ笑っている。
樹兄は、いつも誕生日などのお祝いの時にすごくたくさんプレゼントを買ってくれる。
毎回すごい金額のものを買ってくれるので、いつも申し訳なくて、
『プレゼントとかなくても、樹兄と一緒に過ごせるだけで嬉しいよ』
って伝えるんだけど、樹兄は
『普段会えないからさ、これはその埋め合わせ。全然大したことじゃないよ』
って言って、なにも変えない。
樹兄は、普段お仕事がかなり忙しく、なかなか一緒に過ごす時間が取れないので、空いた時間があるといつもその時間を私のために使ってくれる。
彼女さんとか、気にしないのかな?って思ったこともあるけど、考えてみると樹兄に彼女がいた、なんてことは聞いたことがない。

ご飯が終わった後は、一旦自分の部屋にもどって、インターネット上から履修登録を行った。
普通の大学だと、授業は1コマ90分だけど、藤ノ宮大学はちょっと違って、1コマ60分。
その代わり、ほぼすべての科目が週に2回以上ある。
週に一回長くやるよりも、短く分けて複数回やる方が効率的だ、というのがうちの大学の方針だ。
さらに、国際教養学部は1、2年は一般教養科目を履修し、3年になるときに自分の専攻を選ぶ、というシステムになっている。だから、内容を気にすることなく、どれでも好きな授業を選択できるのだ。

週18コマの授業をすべて登録し終えた時、部屋に聖兄が入ってきた。
「もうそろそろで出るみたいだよ」
「あ、ありがとう。私もちょうど履修登録が終わったところだよ」
「お、そうか!第二外国語は何にした?」
「前に樹兄に勧められたように、フランス語にしたの」
「フランス語かぁ…なかなか難しいぞ?一般教養は何にした?」
「んーと…英米文学、哲学、歴史、宗教と、あとディベートの授業とった」
「お、全部面白いやつじゃん。哲学は朝っぱらから頭使うから辛いぞー。よし、じゃあそろそろ行くか?」
聖兄はそう言うと、私の部屋を出てリビングに向かった。
私は、部屋を出る前にもう一度持ち物の確認をする。
「携帯、お財布、ハンカチ…あとは防寒具かな?」
四月とはいえ、まだ夕方になると少し寒い。念のために、私は丈が短めのジーンズジャケットを持っていくことにした。
リビングに行くと、他の人たちは皆準備万端で待っていた。
お父さんが車の鍵を持ち、みんなで外に出る。
外に出ると、春のすがすがしい空気に満ちている。深呼吸をしてお腹いっぱいその空気を吸い込むと、車に乗り込む。
うちの車は、座席が3列ある。運転席はお父さんで、助手席はお母さん。2列目に私と聖兄が乗って、3列目に樹兄が乗る、っていうのが定番。もっとも、樹兄は3列目といっても、いつも2列目の私を聖兄の間に顔を出して乗り出しているから、あまり2列目と変わらないかもしれない。
「よーし、音楽つけよう!」
聖兄がウキウキとして言う。
「楓、何聴きたい?」
「じゃあ…まずはSekai No Owariの『Dragon Night』がいいな」
「いいね、気分上がるよね!英語バージョンにしような」
iPhoneをジャックに差し込んで、曲の再生を始める。

———Today is the day when the sun sets on our home
Finally the night will come our to say hello oh
The way that never ends still wages on today
But tonight the fight will stop and we’ll celebrate
Everybody has their own version of what’s just
Maybe war is something that is natural for us
But even people that fill me with hate
Have their reasons to live their life that way———

日本語のバージョンはあまり好きじゃない。なんだか無理矢理歌詞を当てはめた感じに聞こえるから。
だけど、英語バージョンは、韻を踏んでいる箇所もあるし、なにより歌詞がすごくいい。
この曲の雰囲気はとても好きだし、旗を担いで、トランシーバーを持って歌う、というパフォーマンスが凄く好き。人によっては、中二病っぽいっていうけど、それでもいいと思う。
曲が終わると、次は聖兄が曲を選ぶ。
「次はJ Soul Brothersの『R.Y.U.S.E.I』でもいい?」
「いいよ!あれ私も凄く好き」
『R.Y.U.S.E.I』をつけると、車にビートがすごく響く。その感覚もすごく好き。
でも、この曲が一番好きな理由は、前に樹兄と聖兄と一緒にカラオケに行った時に、樹兄が歌っていたからだ。
すごくかっこいいと思い、すぐにお気に入りの曲になってしまった。
樹兄はすごく歌が上手で、カラオケに行くとなんでも歌いこなす。おまけに、曲によっては振り付けをつけて踊ることもできる。
聖兄も、樹兄よりはちょっと劣るかもしれないけど、普通の人よりはずっと歌が上手で、大学の人たちとカラオケに行くといつも注目の的だったらしい。
2人とも、いつも優しくて、かっこよくて、私の自慢のお兄さんたちだ。
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