楓の季節
次の日の火曜日、5限の比較宗教の授業が終わったところに、橘先輩がやってきた。
「御園生さん、今時間ある?」
「あ、橘先輩。今日はもう授業は終わりなので、空いていますよ」
「よかった。ちょっと一緒に来てくれる?」
「わかりました…?」
最後が疑問系になってしまった。
橘先輩が私になんの用だろう…。
急いで荷物をまとめてついていくと、先輩は授業が行われていた3号館を出て、右に向かったところの左斜め前にある学生センターに入っていった。

入り口を入ってすぐ左側に、『学生自治会センター』と書かれたプレートがついたドアがあり、橘先輩はためらうことなくそのドアを開ける。
するとそこには、イメージしていたのとはまったく違う空間が広がっていた。
入って右側には本棚の森。大型のがっしりとしたナチュラルカラーの木製本棚が4列並んでいる。まるで図書館みたいな一角だ。
左側の壁には大きな窓が付いており、その窓際には2つずつ机が向かい合わせに置いてあり、合計で6つある。
そのさらに奥にはガラス張りのブースがあり、さらには心地好さそうなソファとコーヒーテーブルもある。
部屋の中央には楕円形の会議テーブルがあり、そこに一人の男の人が座っていた。
「奏斗先輩、連れてきましたよ」
「お、一(はじめ)ありがとう」
「え、あの、橘先輩?」
私は何がなんだかわからなくてあたふたしていた。
「初めまして、御園生さん。学生自治会会長の結城奏斗です」
会議テーブルのところに座っていた人が立ち上がって自己紹介をした。
「あ、初めまして…なんで私の名前を?」
「なんでって、そりゃもちろん、ここに入ってもらいたい人だから、把握してるのは当然でしょ?」
「入ってもらう…?なんのことですか?」
ますます混乱してきた。
「え、はじめちゃん、まだ説明してなかったの?」
「まあ、はい。まだでしたね」
橘先輩が苦笑しながら答える。
「そりゃあ、御園生さんも混乱するわけだよね。じゃあ、ざっと学生自治会がどういうものなのか、まず説明するね」

「学生自治会」は、いわゆる中学校や高校でいう生徒会のようなもので、学内イベントや大学間交流の企画・計画、さらには学則の変更案を提案したり、年に一度行われる学生総会の取りまとめを行う。さらには、学内でのトラブル処理も行うという。
学生自治会を英語に訳すと、「Student Council」となるので、その頭文字をとって普段は「SC(エスシー)」と呼ばれる。
SCは執行部・庶務部・警備部に分かれ、執行部は14人、警備部は生徒50人につき1人で合計124人、庶務部は75人から成っている。
執行部は財務、渉外、広報などの最重要業務を行う部署で、全員スカウトされて入る。メンバーはすべて成績優秀者であり、入試時の成績が高い者順に、会長が顧問の先生や現メンバーと相談してスカウトする。しかし、判断要素となるのは成績だけではなく、性格などの人格面も考慮される。入試の成績が出た時点で候補者が選ばれ、その人物は各学部のサポーターや執行部員に知らされ、学部説明会や新入生歓迎会などのイベント中の行動が秘密裏に審査される。メンバーはすべて一年生時にスカウトされて入会するが、在籍中にGPAが3.8を下回ると除名処分となってしまう。つまり、執行部員は頭脳明晰・文武両道な人でないといけないので、ある意味でエリート集団と言えるだろう。
警備部の主な業務内容は、学内におけるトラブルやいざこざ、いじめや嫌がらせの取り締まりであり、必要とあらば噂のコントロールまでも行う。警備部員は、主に身体能力、注意力と観察力によって選出される。判断材料となるのは、入学後に行われる健康診断や体組成計、身体測定のデータだ。しかし、執行部とは違って、欠員が出た時には募集がかけられるので、自分で名乗りあげることもできる。
庶務部は、執行部から下りてくる細かい事務作業や、各イベントの実行役員、ステージの裏方などを担当する。庶務部はスカウト制ではなく、希望者を募るようになっているが、必要な人数が集まらなかった時にはスカウトすることもありうる。

「ーーーと、まあ、ざっとこんな感じかな。どう?」
「……えーと、結局私は何になればいいんでしょうか?」
「それはもちろん、執行部員に決まってるでしょ?御園生さん、今年の新入生の中での成績順位、4位だもん」
「…!」
思いがけないことを知って絶句する。でも、あることに気づいて疑問が湧く。
「あの…国際教養学部の入試方法って特殊なのに、どうやったら他の学部の成績と比較できるんですか?」
「ああ、それはねーーー」

国際教養学部はSAT、TOEFL、そして志望理由書の点数によって審査される。
SATは2400点満点なのでそれを100点に換算し、TOEFLは120点満点を100点に換算し、志望理由書はA+が100点、Aが95点、B+が90点、という具合に点数がつけられる。そして、それら3つの総合点を300点満点で計算し、点数が高い者順にスカウトされるという。
他の学部は、普通の3教科入試なので、各教科100点満点の合計点で判断される。

「御園生さんのSATのスコアは2300点だから、それを100点満点で換算すると96点。TOEFLは112点だから、93点。志望理由書は堂々のA+だから、100点。だから、合計で289点だね」
予想外の成績にも驚いたけど、何よりも結城先輩が私のテストのスコアを細かいところまで知っていることにも驚く。
「あの…誘われたのは嬉しいんですけど、お仕事内容もすごく大変そうだし、私には責任が重すぎます」
「大丈夫だよ?最初は慣れるまでみんな手伝うから」
「いやいや、それに私、年齢的に若すぎますし」
「むしろ、他の人たちよりも1年若くてこの高得点を叩き出したなんて、喉から手が出るほど欲しい人材なんだけど」
「それに、GPA3.8をキープする自信なんて全くないです…入ってもすぐに除名処分になるのがオチだと思います」
「なかなかうんと言ってくれないね…困ったなあ」
結城先輩が本当に困ったように笑う。
そこへ、橘先輩がニヤニヤしながら入ってくる。
「奏斗先輩、御園生さんってすごくブラコンなんですよ?」
なんで知ってるの?!橘先輩と樹兄や聖兄の話をしたことはないし、ブラコンである素振りを見せたこともないのに…そういえば、聖兄と橘先輩って知り合い?って、そりゃ知り合いだよね。同じ学部だし、こないだの新歓でも話してたし。
だめだ。私、なんか頭が混乱して変になってる。
「あ、なんで、って顔してるね?そりゃ、聖先輩から色々と話は聞いているからね」
橘先輩がにっ、と笑いながら言う。すると、結城先輩もにっ、と笑いながら言う。
「御園生さん。実はね、御園生さんのお兄さん2人とも1年生から執行部員だったんだよ?」
「そうそう、おまけに樹さんは3年生の時会長だったんだよ?」
「うそ、聞いたことない…」
結城先輩の言葉と、橘先輩に付け加えられた言葉に思考が停止する。
「せっかくお兄さん2人が執行部員だったのに、その流れを御園生さんで止めるのはもったいないよね。ってことだからさ、観念して執行部員になろうか?」
「そうそう、兄妹全員執行部員なんてめったにないよ?」
「……」
すごく悩む。仕事の内容を聞くと、やりがいがあるものには感じる。
でも、わたしがちゃんとそれをこなせるのかどうかが不安。
まだ大学生活が始まったばかりだから、慣れてもいないし、試験慣れもしていない。
いきなりGPA3.8とる、なんていうのも無理な気がする。
でも、樹兄も聖兄もやっていた…1年生から。
憧れの兄たちがやっていたことはすごくやってみたい気持ちもある。
「すごーく迷っているね。じゃあさ、これならどう?試験前には僕が対策とかコツを教えてあげるし、勉強法とかも教えてあげる。それならいい成績とれそうでしょ?あ、でも僕のレポートとかはあげないよ」
「そんなの、もちろんです。自分でやらないと意味ないですから、ちゃんと自分で書きます」
まるで楽をするためにレポートを欲しがる子、みたいな言い方をされてちょっとむっとしてしまい、思わす言い返してしまった。
でも、それを聞いた橘先輩の口端が上がったのを見て、自分が罠にかかってしまったことに気がついた。
「お、了承してくれたね?なら、そういうことで。僕は勉強を教えて、御園生さんは執行部員になる」
「はい、決まりー!」
しまった、橘先輩と結城先輩にまんまとしてやられた。
でも…こんな経験、今しかできないことだ。
両立が難しくても、大変な事こそやりがいがあって、燃えるものじゃない?
目が回るような忙しさでも、そのなかに楽しさがあるのかも。
「なんか、嵌められた感がちょっと否めませんけど…私、やります」
「おおー!やる気になってくれた?」
「はい、足りないところがたくさんあるかもしれないですけど、よろしくお願いします。こんな機会を与えてくださって、ありがとうございます。精一杯、頑張ります!」
結城先輩と橘先輩に頭を下げる。
「御園生さんって、決心がつくと潔いいんだねぇ」結城先輩がふっ、と笑いながら言う。「そういうところ、僕は嫌いじゃないよ」
「なんか、期待できますね」
橘先輩が言う。
入学して早々、思いがけないことになっちゃったけど、これからどうなるのか、考えるとちょっと楽しみだ。

その日の夜、夕食後にリビングでくつろいでいる聖兄に、執行部員をやることになったことを伝えた。
「そうかそうか、やっぱりオファーが来たか」
「え、聖兄知ってたの?」
「そりゃあ、僕と樹兄の妹だもん、成績良いに決まってるじゃん。それに、受験勉強を教えたのは他でもない、この頭脳明晰・文武両道を地で行ってる僕と樹兄だよ?それでいてオファーが来なかったら、それこそおかしい」
「え、頭脳明晰とか自分で言っちゃう?」
お茶目な顔をして言う聖兄がおかしくて、思わず笑ってつっこんでしまう。
聖兄はよく、こういうちょっとナルシストっぽい発言をするけど、本当はナルシストでもなんでもない。
いつも飄々として、涼しい顔をしてなんでもこなすけど、その裏ですごく努力をしていること、私は知っているから。

夜遅くなってから帰宅した樹兄にも同じことを伝えると、樹兄は優しく笑って、
「やっぱりな、おめでとう。頑張れよ」
と言ってくれた。
< 9 / 13 >

この作品をシェア

pagetop