陽のあたる場所へ
② 誘惑
タクシーの中で、沙織は流れて行く外の景色をぼんやりと眺めていた。
長瀬楓(ナガセ カエデ)の家に着くまで、龍司から何も説明はなかった。
仕事の話ではない。
エレベーターの中での、突然のキスの理由だ。
社内から、取引先から、立て続けに電話がかかり、龍司はずっとその応対に追われていた。
もっとも、電話が一本もかからなかったとしても、沙織に対して何か釈明をしたとは思えなかった。
その中で一つだけ、仕事とは関係なさそうな内容の電話があった。
「あぁ…ごめん…。仕事忙しくて…。
わかってる…必ず時間作って行くから…」
相手の話までは聞こえないが、声が女性だということだけはわかった。
きっと、恋人なのだろう…。
だから、少し前のあの行動に、感情などきっとない…。
物欲しそうに見えた私を、少しからかっただけ。
沙織の心の中では、その理由を考えてしまう気持ちがグルグルと回りながらも、結論はそこへ落ち着けるしかなかった。
唇はまだ熱を持っているような感覚なのに、心の中には何か冷たいものが突き刺さって来るような気がした。