陽のあたる場所へ
「龍司くん…ごめんね」
無言のまま身繕いを済ませた絢音さんは、小さな声でそれだけ言うと、ドアを出て行った。
何を謝られたのか、俺にはよくわからなかった。
廊下の壁にもたれて待っていた兄と、二言三言、言葉を交わしていたようだったが、さっきまでのやり取りとは違い、意外にも二人とも抑えたトーンの声だったので、内容までは聞こえなかった。
そして、絢音さんが階段を降りて行き、玄関のドアがガチャリと閉まる音がした。
程なく、窓越しに、外の舗道をコツコツと足早に歩いて行く彼女のヒールの音が聴こえて来た。
俺は、急いで窓に駆け寄り、ガラス越しに彼女の姿を探す。
小さな後ろ姿が、肩をすぼめながら、どんどんここから離れて行くのが見えた。
今すぐ追い掛けたい。
引き留めて、彼女の気持ちをちゃんと聞きたい。
だって、ほんの少し前、俺達はキスして抱き合ったじゃないか…
なのに、どうして「ごめんね」って謝ったの?
俺達が愛し合ったことは、やはり間違いだったの?
そう…そうだよね…。
例え、もしそれが間違いだったとしても、
それを越える強い気持ちとか、絆なんてものは、きっと俺と彼女の間にはなかったんだ…。
小さくなった絢音さんの後ろ姿が、不意に立ち止まり、振り返ってこの窓を見上げた。
目が合ったかどうかなんてわからない程の距離だったが、俺は慌てて窓に背を向けた。
乾いたような硬い音が、また冷たく耳に響く。
この場所から動けない俺を置き去りにして、その音はどんどん遠ざかって行き、やがて完全に聞こえなくなった。