明日の君と
彼はボートを漕いで、もう少しだけ沖にでた。
限りなく透明に近い澄んだ青い湖は、鏡のように青色の空と白く流れゆく雲を映し出していた。
そして、きっと、私の大切なイツキの柔らかい笑顔と、それを見つめる私の顔も、そこには映っていたことだろう。
初夏の風に乗って周囲の山々から柔らかい緑の香りが運ばれている。
静止した絵画の中にいるような気分だった。
イツキとふたり、私たちはこの美しい自然の中のに溶け込んでいる錯覚を覚えた。
空を見上げると、トンビが1羽、円を描きながら旋回している。
遠くの水面では小魚が小さな飛沫をつくりながら、その生命の誇示をしている。
どれだけの時間、私たちふたりは無言のまま、この景色を眺め続けていたのだろうか。
心の中から、日頃の喧騒やストレスといったものがすべて洗い流されていくような気がする。
きっと生まれたての赤ちゃんて、こんな感じの純粋な心を持って生きているのかな。
彼の顔を見ながら、ふとそんなことを思った。
イツキも遠くを見つめているような目で、穏やかな表情を浮かべている。
私はそんな彼の顔を見つめ続けた。
片方だけ少しあがった眉、線を引いたような筋の通った鼻、すぐにむくれてへの字になる口、そして、いつも真っ直ぐに私を見つめてくれるふたつの瞳。
すべての彼を作り上げる要素が私にとってかけがえのないものだと改めて気付く。
それに、イツキの心、そして、私に語りかけてくれるひとつひとつの言葉。
すべてのものが愛おしくって、こうして考えながら彼を見つめているだけで、私の涙腺は緩んでしまう。
「どうしたの?」
私の様子を見て、彼は優しく問いかけた。
「ううん、なんでもないんだけど、ただ、なんか、幸せで」
私の言葉にイツキは穏やかな包み込むような笑顔を見せた。
「香奈さん、ボクも幸せですよ。香奈さんと、こういう時を共に過ごすことができて」