空に話し掛けて
母の強さと苦しみ
私の母は私が幼い頃から入退院をしていた。
覚えている入退院は私が幼稚園の頃と、高校生の頃が一番長かった。

胃潰瘍

それが病名だったが、私に病気が現れてから様子がおかしくなっていった。

元々、少食だった母だが喉に違和感を覚え、食べた物が詰まるようになっていった。
掛かり付けの病院で、食道狭窄症と診断され、バールン処置を数回受ける事になった。
処置も2回ほど受けたが、直ぐに狭くなり再び食べれなくなると、大学病院を紹介された。

大学病院で精密検査をした。
すると、衝撃的な結果が出た。

食道癌

その原因は腐敗性の物と言われ、未だによく分からず腑に落ちない。
その食道癌の名医の先生が世界的な医師だった。
直ぐに摘出の手術の予定を組んだ。
その手術は食道を全部摘出するという物。右胸の下を肩甲骨まで切開し、鎖骨部分を横に切開して、右胸から食道を摘出するという物。更には、腹部も切開し胃を喉元まで引き上げる。

娘の誕生日の翌日に手術をする事になった。
母にとっては初孫の誕生日翌日だ。

手術当日。
朝早くから手術が始まった。
予定では、8時間だったがなかなか終わったと連絡が無い。
10時間経った頃、別室に呼ばれた。

すると、執刀医ではない医師が座っていた。
産婦人科医だった。
私が娘を妊娠していた頃に担当してくれていた医師だった。
『何故?』
その疑問は直ぐに解けた。

腹部を開腹した際に、卵巣に異変が見つかったのだった。

医師の手元には摘出した卵巣があった。

卵巣癌

急遽、婦人科の手術も入った為に長引いていたのだった。
12時間に及ぶ手術だった。

しかし、手術で喉元と胃の結合手術は2回に分けて行う事になった。結合具合を見る為に必要だった。
なので、喉元は半分開いたまま…。

1ヵ月程の入院。そして一時的に退院したが、人工肛門用のパウチを付けて退院の為、術後ケアは私が看護師の方に教わり、自宅でのケアが始まった。

それは、パウチを傷口の大きさに合わせて切って、唾液が漏れない様に高さも合わせる。
中のガーゼを取り替える。
栄養を摂るために、腸瘻点滴を付け替える等のケアだった。

そして、3ヵ月過ぎた頃に、再入院して、全て結合する手術と残りの卵巣の摘出手術を行った。

少しずつ飲み物から摂り始め、食事に移行していく為、入院が少しだけ長引いた。
季節は冬になり始めた頃に、ようやく退院出来た。
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