空に話し掛けて
新生活〜別れの日
娘共々転勤先に来て、新生活が始まった。

少しずつ本当の家族になる為に努力
していった。

引越しから1週間。
娘が急に帰りたいと泣き出してしまった。
その日に限って、彼は夜勤だったのだ。
仕方なく、母に電話をした。
心配掛けたくなかったが、頼れる友人もいない地域でどうしようもなかった。
それでも、娘は尚の事帰りたいと泣き、彼の上司のPHSに電話を掛け彼に繋いでもらった。

すると、彼は電話を切った後、上司に事情を話、早退してきてくれた。
3人で話し合った結果、娘はもう少し頑張ると言い、涙を拭った。

それからは、喧嘩をしても仲良く生活していた。

でも、娘は毎日母と電話するのが日課になっていた。
私もそれで良いと思った。
ただ、体調次第とは念押ししておいた。

その年のクリスマスは実家で同級生達と集まって懐かしい話もしていたそうで、楽しそうだった。
元気に年越しが出来ると安堵していた。

元日の明け方、私達は帰省する事になった。
三が日が明けて4日に両家の初顔合わせを行った。母の体調を考慮して、ほんの少しの間だったけれど…。

自宅に帰って「彼の両親に会えて良かった」と切ってもらえた。
認めてもらえたんだと実感出来た。

そして3月に入る頃、新たに子どもを…と言う話が出た。彼にとってはそれは望んでいたことに違いない。

しかし、私を気に掛けた母はそれだけは許してくれなかった。

中旬頃に母からもう一度釘を刺す電話が掛かってきたのだった。
彼は電話で話をしたが、お互い譲ること無く電話を切った。
私は連絡出来ずにいた事を、この後後悔するのだった。

4月2日の朝、彼は日勤の為早く起きていた。私もお弁当を作るために起きていた。
すると、私の携帯が鳴った。
相手は父からだった。
『お母さんが動かなくなった…』
ウゴカナクナッタ…?

理解出来なかった。
まるで思考回路がショートしたようだ。
彼に電話を代わり、ふらふらと寝室に入った瞬間、私はようやく思考回路が直った。
しかし、最悪な状態が起きてしまった。
私は取り乱し「うわー!!!お母さんが!お母さん! 」それを聞いた彼は、すぐさま電話を切って会社へ電話してくれていた。

そして、春休みだった娘も起きてきて、事情を説明してくれた。
少し、落ち着きを取り戻した私は、兄に電話をして、母の事を伝えた。

『先に実家に向かうから、気を付けて来いよ!』

私達は支度をして、荷物をまとめて急いで車に乗り込んだ。

ずっと涙が止まらなかった。
外には桜が満開だった。

前回は12時間かかった帰路を7時間半で帰った。免許のない私の代わりに彼は一人で運転してくれていた。

帰路の途中に兄からメールで式の連絡が来た。
現実を突き付けられた感じだった。

対面した母はまるで眠っている様だった。
後悔の念に駆られていた私を父が静止した。

沢山の方々が会いに来てくれた。
綺麗な花が沢山。
そして通夜では、祭壇を花で埋め尽くしてあげた。
私の幼馴染みの親友や幼稚園の頃からの母の親友も来てくれていた。

告別式にも沢山の人が弔問してくれた。
そして喪主代理で兄からの言葉。

「母はとても優しく、強い女性でした。とても辛い事も弱音を吐く事も無く。そんな母が僕達の誇りでした。」

出棺の時、助手席には父。
母の横には遺影を持った私。
車が走り出した時、雨が降り出してきた事に気が付いた父が、ポツリと呟いた。
「お母さんも泣いているな…」
私はただただ俯いていた。

火葬場に到着した。
本当の別れの時…。
やはり、寝ているだけなのでは?と思うぐらい綺麗な顔だった。

家族と数名だけが扉の前まで行くことが出来た。
母が亡くなった時から、謝罪しかしてなかった私。扉の中に入っていく母を見つめ、精一杯の気持ちを伝えた。

「ありがとうございました!」
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