眩暈
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「あなたはとても美しい人ね。そして幸せそうに見えるわ」
ロンドンの地下鉄で、向かい側に座っていた年老いた身なりのよいマダムに、突然話しかけられた。私は、特別人目を引くような美人ではなかったので、東洋人がよっぽど珍しかったのだろうか。それとも、この人は少し頭がおかしいのかしらと思いながらも、私は彼女に丁寧に微笑んだ。
「ありがとうございます、マダム」
私がそう言うと、彼女は幸せそうに笑った。それとは反対に、その微笑みにはどこか寂しいものがある気がして、私の心はざわめいた。少し躊躇した後で、私は尋ねた。
「でも、マダム。どうしてそうお思いになるのですか?」
彼女はその質問を予測していたかのように、にっこりと笑って答えた。
「あなた、今幸福そうに微笑んでいたわ」
ロンドンには大きな川がある。地下鉄に乗る少し前、私は一人でテムズ川を見ていた。冬場のロンドンの空は、どんよりと曇っている。私は、この場所が好きだった。現在私は、小説や紀行文のようなものを書いてなんとか暮らしている。小説を書くことは長い間私の夢だったので、満足はしているけれど、それでも書くことに行き詰った時、一人でテムズ川を見に来る。もっと自然の中にある澄んだ川を見たほうがいいと薦める人もいるが、私はそういうものに興味がない。美しいとも思わない。都会をゆったりと流れる川が好きなのだ。
私は寒さに凍えながら、いろんな人を観察する。ビジネスマン、旅行者、恋人たち、ただ歩いている人・・・。私は一人の男の子に目を留めた。三歳くらいだろうか。川べりに座って、動かない。私と目が合うと、彼はにっこりと笑った。私は、ママは?と唇を動かしてみたけれど、彼はもう一度笑って、下を向いた。どこからか、スラブ系の男性がやってきて、彼に向かって“アイデ!”と大声で言った。彼はパパの姿を見て、嬉しそうに立ち上がった。