眩暈
「バルカンの夏はとても暑くて、グランマが死んだ日も暑かった。マムもその前に死んじゃったから、十年前に俺はたった一人になったんだ」
ドイツへ来たのは、その後だ。不法滞在の外国人として、彼のベルリンでの生活は始まった。その生活は楽ではなかっただろう。私は、まだ若く、エネルギーに満ち溢れていた一人の男を想像した。父親の話は、しなかった。もしも彼が望んでも、できなかった。彼には父親の記憶がなかった。
「そんな風に見ないで」
彼は、言った。私は彼の半生を思って、少し同情した。彼にはそれがすぐにわかったのだろう。
「心配しないで、俺はいつも幸せだから」
私はその瞬間に、自分を恥じた。誰の人生に対しても、同情などすべきではなかった。幸福かそうでないかは誰かによって決められることではなかったからだ。誰かが私のホープレスな人生に同情したとしたら、私はその人を殴っただろう。
彼は煙草に火を付けた。いつも彼が吸う煙草とは匂いが違うことはすぐにわかった。机の上には小さなビニール袋があって、緑の葉っぱのマークが描かれていた。その日の彼は、とても感傷的だった。それはドラッグのせいかもしれなかった。私はドラッグをやらないので、わからなかったけれど。
「さ、もう寝るよ。今日は少し疲れた」
彼は立ち上がり、私のむき出しの右腕を撫でた。
「君の腕は赤ちゃんみたいだ!」
彼は少し驚いたように言った。
「アジア人の遺伝子に感謝するべきね」
私は言ったけれど、彼はそれ以上何も言わなかった。そして私の頬に小さくキスをした。
「おやすみ、ヨーコ」
「おやすみ、ルカ。よい夢を」
いつもルカが私に言ってくれることと同じことを言った。ベルリンの夜はもう肌寒かった。彼がいつも幸福でいてくれますように。私はなんだか祈りたい気持ちだった。



           3
ルカはお昼ごろに起きてくる。いつも眠たそうな顔でキッチンへと入って来て、片手を上げてドイツ語でおはようと言う。朝は英語よりもドイツ語が出てくるらしい。その栗色の髪の毛はぼさぼさで、とても柔らかそうに見える。開け放しの扉から、彼の部屋が見えた。日当たりの良い彼のベッドにはチキータがまだ寝ていた。
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