眩暈
その言葉を、知っていた。それは私が行ったこともない東欧の言葉だ。その言葉を、かつて毎日のように聞いていた。もう、ずっと昔のことだ。私の青春の最後の日々を、ベルリンで暮らしていた頃のこと。あのセルビア人と一緒に暮らしていた時のこと。その言葉は一瞬にして、私をベルリンへと引き戻す。もう長い間、あの地を訪れてさえいないのに。
ベルリンにも、ロンドンのように大きな川がある。私はよくシュプレー川の岸辺をこんな風に歩いていた。寒くて、暗くて、憂鬱で、貧乏だったベルリンでの日々。冬の間、ベルリンは色彩を失う。広がる灰色の空。たまに重い雲の切れ間から覗く、空の青みと太陽の光。それは、一瞬だ。瞬きをすれば、すぐに消えてしまう程。私は、その一瞬を覚えている。その一瞬を思い出す時、私はいつも幸福に笑っている。自分の体の一部をえぐられたような痛みを感じながら、私は、笑っている。


始まりは、夏の日々。プラタナスの木の隙間から覗く白い太陽の光。それから様々な種類の音楽。来たばかりのベルリンで、ステイ先のホステルで知り合ったカナダ人の女の子とそこを抜け出しては、一杯のビール(時には数杯の)を飲みに近所のバーへと夜な夜な繰り出していた。あの頃、私は“何者でもなかった”。小説を書いて、いつか認められたいと思い続けていた“ただのジャパニーズガール”だった。
有名でもお洒落でも何でもないそのバーに、そのセルビア人はいた。数人の友達に囲まれて、ビールを飲んでいた。Berliner。金色のラベルに、赤い熊がビールを持っているボトルのそれだ。七月が始まったばかりだというのに、夜は寒く、私は凍えそうになりながら彼らと会話を交わした。その出会いは、ベルリンに腐るほど溢れているような出会い。特別なことやドラマチックなことなど、何もないありふれた話だった。
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