眩暈
その言葉はするりと私の口から滑り出た。彼は一言、オーケイと言った。私の目も見なかった。Okay、それだけだった。後はとても事務的なこと。何月何日の何時に出て行くか、二人で使っていたものをどうするのか、それだけだった。私は一ヵ月後にここを出ると言った。そして彼は、それに同意した。私が部屋に戻ろうとすると、彼は一つだけ聞いた。
「誰と住むの?」
私は微笑した。
「ボーイフレンドよ」
彼は、何も答えなかった。私たちは、会話することをやめてしまった。




















              6
 あの年は美しかった。ベルリンの空はいつも曇っていたし、空気は湿っていたけれど、分厚い雲の隙間から覗く太陽の光に何度も救われた。こんなにも太陽の光を望んだのは初めてだった。そして美しかったことと等しく、終わりがない程に悲しかった。
 ルカはいつも家にいるようだったけれど、私たちはもう多くのことを話さなくなった。私は彼がキッチンにいる時は、そこには極力行かないようにしたし、彼と会う時のためにいつも心の準備をしていた。家の中で偶然出くわすと、私はもはやどうしていいのかわからなかった。初めてここに来た頃のように、何でもないことで笑い合うことが出来たなら。私はそう切に願ったが、それはもう叶わない祈りだった。あんなに楽しかったここでの生活を、今は残り何日と祈るような気持ちでカウントダウンするようになってしまった。
 その家を出て行く数日前のことだったと思う。珍しく私はこちらの家にいて、することもなく、自分の部屋でカズオ・イシグロの短編集を読んでいた。ノックをする音が聞えて、私は身構えた。一瞬の沈黙の後、ルカの声が聞えた。
「ヨーコ?」
その声はもはや懐かしくさえあった。私はベッドから起きて、扉を開けた。私は明らかに緊張した顔をしていたと思う。思ったよりも近い距離にルカがいたので、私は一瞬びっくりしてしまった。久しぶりに見るルカはなんだか痩せて、髪が伸びた。襟足の栗色の巻き毛が私を切ない気分にした。
「今からテレプタワーパークにダミアンたちと行くけど、君も来る?」
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