眩暈
 残された私とルカは、散らかるだけ散らかったキッチンのソファに向かい合って座った。二人とも煙草を吸っていた。明日の片付けのことなんて考えていなかった。いい夜だった。それだけを思っていた。私たちは酔っていなかったと思う。私はその夜のことをすべて鮮明に覚えているから。すべてを愛しむかのように、一秒一秒を。
「ダミアンは行っちゃうのね」
私がそう言うと、彼はそうだね、と少しだけ笑って、両方の眉を上げた。
「さみしくなるわね」
ルカはそれには答えなかった。
「私は少しだけ、彼が羨ましいわ」
私は言った。彼は首を傾げた。
「彼、ジャーナリストになるのよ。彼がずっと夢見てきたことよ。夢が叶って、羨ましいわ!」
私は冗談めかして言った。何者にもなれない自分を自虐的に笑って。
「君は作家だよ」
彼は私を真っ直ぐに見た。初めて出会った時と何も変わらないやり方で。私は首を振った。
「やめて、ルカ。私は何でもないわ」
「君は作家だよ」
私は彼の言葉を茶化した。
「ベティみたいなこと言わないでよ」
私は大好きなフランス映画を引き合いに出して笑ってみたが、彼がわかる筈もなかったし、彼は笑わなかった。何がおかしいの?とばかりに。私はすぐに笑うことを止めた。二人の間に静寂が訪れた。彼が煙草を消した瞬間に、目が合った。私たちは、微笑んだ。そして私たちは始めて抱き合った。言葉はなかった。音楽もなかった。朝はまだ、来ない。ベルリンの長い夜。闇の中に私たちは身を隠すようにひっそりと抱き合った。すべて、見えないように。朝が来たら、すべてを忘れてしまえるように。彼の肩越しに旧ユーゴスラヴィアの地図が見えた。まるでユーゴスラヴィアに抱かれているようだった。
 彼は私の子供みたいなやせっぽちの胸に顔をうずめた。私は持てるだけの力で彼を抱きしめた。彼もそうした。私が壊れても気にしない、という風に。
 抱き合った後、彼はすぐに眠りについて、朝が来る頃、私はそこから逃げるように自分の部屋に戻った。朝が来たら、私たちはすべてを忘れなければいけない。なぜだか、そう決まっている気がした。すべてが、決まっていた。ベルリンに来ることも、あのバーに私が行くことも、あの栗色の瞳を愛することも、そして、ここを去ることも。そこには他の道なんて存在しない。私には、それがわかっていた。
< 41 / 45 >

この作品をシェア

pagetop