眩暈
「ヨーコよ。ありがとう、とってもいい気分だわ」
「そうだ、ジョン・レノンのワイフのヨーコ!部屋は気に入った?」
「もちろんよ!」
私が親指を立てると、彼は笑った。私は念のために、あなたのガールフレンドが中に入れてくれたのよ、と説明した。彼女の名前は知らなかった。
「ガールフレンド?」
彼は怪訝な顔をして私を見た。煙草をくわえて、眉毛をしかめる様子に、私は一瞬どきりとした。とてもきれいな顔をしているのだということに今更ながら気がついた。彼は自分で聞き返しておきながら、すぐに理解したように、あの女の名前を口にした。
「あぁ!タチアナのことか!」
その様子は、彼女は自分のガールフレンドではないよ、と言うことのように思えた。少なくとも、特定の、という意味では。
「彼女、君に優しくしてくれた?」
彼は紙に煙草の葉っぱを巻きながら、言った。
「えっと。そうね、優しくしてくれたわ」
私は一瞬口どもったが、そう答えた。彼は笑いながら、私の口真似をした。
「えーっと」
そう言って、笑ってみせた。私の意味するところをすぐに理解したようだった。
「心配しないで、彼女は誰に対してもあぁなんだ。ドイツ人ってあんな人多いだろう?」
「ドイツ人、ね」
私は彼の言葉を繰り返して、苦笑した。
「でも心配しなくていいよ。ベルリンは特別だから。すぐに君もわかるよ」
彼はそう言ってウインクした。私はそのウインクに戸惑いながらも、彼の意見に同意することを忘れなかった。
「そうね、ベルリンはとても特別だわ」
ベルリンに来て、日は浅かったが、私はすでにこの街を愛し始めていた。ドイツであって、ドイツではない場所、ベルリン。かつて多くの人の血を流し、その代償に自身も切り裂かれた街。多様性を否定した過去への反省から、多様性を受け入れようと努力し続けてきた街。様々な国の人が住む、メガシティ。ドイツの首都でありながら、貧しい街。“ベルリンは貧乏だ。しかしセクシーだ”と言う言葉を私は気に入っていた。
「座ったら?」
彼に薦められて、私は椅子に腰掛ける。
「コーヒーでも飲む?」
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