眩暈
彼が淹れてくれたおいしいコーヒーを飲んで、少しだけ会話をした。時計を見るともう一時を過ぎていた。私は違う日にバーで知り合ったアメリカ人男性と出かける用事があったので、席を立った。おいしいコーヒーをありがとうと伝えることを忘れずに。彼は煙草を吸いながら、ベルリンを楽しんでねと言った。キッチンの大きな窓からは日が射していて、そこからはベルリーナーたちの生活が見えた。ベランダの植物にお水をあげる老女、ベビーカーを押す新米ママ。それから向かいのキオスクで朝からビールを飲む中年の男性たち。アンティークの古いカウチに座るルカ、それから彼の隣に座る犬を見て、私はなんだかとてもわくわくし始めていた。母国から遠く離れた異国で、ジョブレス。未来への当ても何もなかったと言うのに。

 夕方、私が帰ってきた時、彼と犬はそこにいなかった。私は昼間から飲んでいて(そのアメリカ人とのデートはとてもつまらなかった)、帰ってからもワインのボトルを開けずにはいられなかった。ワインのボトルを一人で飲み干した頃、どこからか、ヴァイオリンの音が聞えてきた。私は窓際で耳を澄ます。開け放たれた窓からは、たくさんの美しい緑が見えた。ところどころ、音が途切れたりミスしたりするのが私にもわかった。音大か何かの学生だろうか。ヴァイオリンの音、それからプラタナスが風に揺れる音、そのどちらもが私を幸福な気分にした。私はその音たちを聞きながら、煙草を吸った。煙草の煙が夕暮れの淡い空に消えて行くのを見ていた。雲は薄い金色に輝いていた。さわさわと流れる木々の葉の音は、波の音を思わせた。波の音を聞きたくなったら、この音を聞けばいい。この場所から海はあまりに遠かったから。その考えは少し私を安心させた。私の心は、満たされていた。私はルカが帰ってきていたことにも気が付かない程に。その時、私はなぜか泣いていた。
「何が君を泣かせたの?」
彼は真剣な顔で私に聞いた。何か悲しいことでもあったと思ったのだろう。
「何でもないのよ、ルカ。ただ・・・人生は美しいなって思っただけ」
彼は私の隣に座って、私の顔を覗き込んだ。距離がとても近かった。犬は少し離れたところで、私たちを見ていた。
「チキータ、Ajde!」(セルビア語で「おいで」の意)
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