恋は天使の寝息のあとに
「平日は沙菜が頑張っている分、土日は僕が頑張らなくちゃ」

「翔だって、平日は一日中仕事でしょ。週末まで頑張ったら、疲れちゃうよ」

「大丈夫だよ。一応僕だって男なんだから、沙菜よりは体力がある」

そう言って翔はお鍋に野菜を入れて火にかけた。

「それにね、一年半分そばにいられなかった穴埋めを考えると、全然足りない」

彼の静かな呟きを、私は何も言わずに聞き流した。
別に、穴埋めをしてもらいたいわけじゃない。
心菜のことさえ裏切らなければ、それでいい。


やがてトタトタと小さな足音がして、台所の入り口から心菜が顔を覗かせる。
だあーっと大きな声を上げて、私たちの足元へ走ってきた。

「おや、心菜も目が覚めたのかい?」

翔はしゃがみ込んで、心菜の目の高さに自分を合わせて、ゆっくりと話しかける。

「台所は危ないから、あっちに行ってパパと一緒に遊ぼうか?
……沙菜、料理代わってくれる?」

「うん。わかった」

翔と心菜は、手を繋いでリビングへと戻る。
その二人の後ろ姿は、どこからどう見てもお父さんと娘。
翔は家事だけではない、子どものあやし方も完璧で、何から何まで文句の付けどころがなかった。

それなのに、私は翔をパパと呼ぶことに抵抗を感じていた。
恭弥のことは、自然にパパと呼べたのに。
まだ恭弥のいない生活に頭が追いついていかない。

それは私だけではなかったらしく。心菜もどこか違和感を覚えているようだった。
言葉をうまく喋れない心菜。唯一『ママ』『パパ』だけは口から頻繁に飛び出してくるのだが、それでも、心菜は翔のことを未だ一度も『パパ』と呼んでいない。
心菜も、パパは恭弥のことだと思ってくれているのだろうか。

それでも、時間が経てばやがては翔を父親だと認識するようになるだろう。
それを考えると、どうにもやるせない気分になった。
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