グッドバイ
雨上がりの、湿った匂い。表通りから一本入った、狭い路地。夜のコンクリートに踏み出して、暗い空を見上げた。雲と雲の切れ間に、白い月が輝く。
「じゃあ、これで」
隣に立っていた隼人が、そう言った。美里は小さく頷く。
「これ、俺の連絡先。気に入ったのなら、また俺を指名して」
隼人がカードを美里に手渡す。そこには隼人の名前と、ラインIDが書いてあった。
「二回目以降は、サービスするよ。割引もあるし」
隼人はそう言って、美里に微笑んだ。
「また、連絡して」
軽く手を挙げると、隼人は美里に背を向けた。街灯がぽつぽつと照らす道を、男娼は振り返らずに歩いていく。あっという間に暗闇に溶け込んで、美里は、先ほどまでベッドで繋がっていた男の顔を、もう思い出せないでいる。
シワの寄ったスカートを手で伸ばした。素足を、夏の名残の生暖かい風が撫でていく。
美里はカードを半分に破ると、足元に落とした。しばらくは風に乗ってくるくると舞っていたが、最後には黒い道路に消えて、見えなくなった。
美里はなかなか動くことができず、呆然と立ち尽くした。自分の呼吸音だけが耳に届く。
結局のところ、何も変わらない。明日、いつも通り出社し、いつも通り仕事をし、たわいもない話を同僚として、一人のアパートへ帰るだけ。
あの人は、いない。