グッドバイ
エレベーターはすぐに三階に到着した。薄暗いホールに降り立つと、自分が今どこにいて、何をしようとしているのか、否が応でも自覚する。
掃除の行き届いていない廊下に、非常口の緑のサイン。淡々と歩く男に引っ張られながら、美里は無意識に「待って」と声を出した。
男の足が止まる。廊下の真ん中で、男は美里を振り返った。
「待って」
美里はもう一度、そう言った。
「いいよ、もちろん」
男は寛容に受け入れて、美里の手を離した。
美里はバッグからスマホを取り出す。
くだらない迷惑メール。鳴らない電話。
待つ必要は、初めからなかった。
美里はスマホの電源を押した。ボタンを押す人差し指が、かすかに震える。
電源を切ると、美里はバッグにスマホを入れた。
「もういい?」
デニムのポケットに指をかけて、濡れた美里を見ながら、男が尋ねる。
美里は頷き、差し出された手を取った。
男は扉を開け、美里を部屋に導く。男の横を抜けるとき、かすかなめまいを感じた。
「名前は?」
美里は歩きながら、後ろの男を見上げ、尋ねる。
「隼人」
男はそう言うと、静かに扉を閉めた。