私を呼んだ。
私の両親が亡くなったのは、私が高校3年生の時、美和が小学5年生の時だ。
小さな不動産を経営していた両親はよく、土地や、物件などを探しに車で遠出する事が多かった。
当時陸上部だった私はその日は大きな試合にリレーメンバーとして出ていた。
その前日に出張していた両親はリレーの時間には必ず行くから美和を連れていってあげて欲しいと電話があった。
リレーの時間。応援に来てくれていた里美に美和をあずけ、リレーに集中した。
どこかでお父さんとお母さんが急いで来てくれて見てくれていると信じて、客席は見渡さないようにしていた。
結果は2位。悔しい気持ちはあったが、とにかくお父さんお母さんにがんばったね!と褒めて欲しくて息を切らしながら客席に走った。
けど、両親の姿はどこにもなく。そこにいたのは、顧問の先生だった。
そして、その横には涙で顔をぐしゃぐしゃにした、里美と美和がいた。
不運な交通事故。車は運転席、助手席のところまでへこんでいた。
私の試合に間に合わないと焦ったお父さんが車をとばしていた。
車線変更しようとしたお父さんの車に気づかず、前の大型トラックも車線変更しようとしてぶつかり、橋の上を走っていた2人の車はそのまま‥‥‥‥
不運‥‥?不運なのか、私の試合が今日じゃなかったら‥‥私がリレーメンバーじゃなかったら‥‥私が見に来てねなんて言わなければ‥‥
考えれば頭がおかしくなってくる。
どうして?より先に、あーしてれば、が先に出てくる。
どうして車を飛ばしたの?なんて言えない。
私が急がせたようなもの。
どうして死んじゃったの?なんて言えない。
私のせいだもの‥‥‥‥。
まだ小学5年生の美和。
どうしよう。悲しむのは私だけじゃない。
まだ幼い美和。まだまだお父さんお母さんに甘えたい美和。ごめんねなんて言えない。お姉ちゃんがいるからねなんて言えない‥‥
私はこの子より7年も多く両親に甘えてきた‥‥
いつも美和に甘い、ずるいと両親に文句を言っていたが、甘いのはどっちだ、ずるいのはどっちだ‥‥
お父さんお母さん美和。
ごめんなさい。
私の心の中も知らずに私のお腹につかまって泣きじゃくる美和を見てもっと心が痛んだ。
そうだ、この子にはもう私しかいないんだ。
だったらこの子より多く甘えた7年間を私が与えてあげなくちゃ。
せめて、私がズルした7年間は‥‥
私が幸せになる資格なんてない。
私の人生はこの子の幸せのためにあると思ってここまで生きてきた。
お父さん、お母さん。
あれから7年が経ったよ。
‥‥会いたいなぁ‥‥