この恋は、風邪みたいなものでして。

耳まで真っ赤になりながら椅子に座ると、彼は大きな身体を屈ませて、背もたれに右手を乗せる。
更に近くなる距離に、口から心臓が飛び出しそうだ。
右手を開いて閉じて、指を動かし、大きく息を吸い込むと鍵盤に手を置く。

「せーの」

子供に言うかのような合図で始まった連弾は、あの時を思い出してしまいそうな優しい曲だった。
マスクと伊達眼鏡に感謝しなければいけない。

恥ずかしさを隠してくれる。

風邪と嘘を吐いたことも、申し訳ないけれど、結果的には助かったのかも。

でもこの曲は、駄目だ。
思い出が溢れてくる。

一番最初に先生に怒られながらも初めて最後まで弾けるようになった曲。


「ウエイトレスさん?」

「ご、ごめんなさいっ」

眼鏡を外してごしごし涙を拭く。

駄目だ。
散々泣いたのに、涙がまた溢れて来る。

「ごめんなさい、私っ」

心配をかけたくなくて、厨房の方へ走り去ろうとしたら、腕を捕まえられた。

「どうしたの?」


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