この恋は、風邪みたいなものでして。
「珈琲を一つ」
小顔に見える大きなサングラスをして、ランチのピークの後にやってきたのは茜さんだった。
「いらっしゃいませ。畏まりました」
彼女はいつもの余裕のある笑顔だったけれど、私はもう不安に心を掻き乱されることは無かった。
緊張はしてしまって珈琲を渡す手は震えてしまったけど。
「颯真の調律している時の顔が格好良くて声をかけたの。一緒に歩くと自慢になる見た目だし連れ回してたのよね。颯真も私のコンサートとかで人脈広げられてたし、私は颯真にエスコートされたら気分がいいし、で。お互い利用し合ってただけ」
珈琲に砂糖もミルクも入れないのに、手持無沙汰のようにスプーンで中を掻き混ぜる。
その姿は、いつも煌びやかで注目の中心にいる彼女の儚げに隠された弱い部分だった。
「触れてきたことは、ないよ」
サングラスで表情を隠しながら、転がすように言う。
「何度も仕掛けたけど、かわされちゃった。でもそれが正解よ。面倒くさい女だもの、私。きっと仕事より自分を優先してちやほやしなきゃ、許せないし」
「茜さん」
「だから、私を違う形で颯真の中に居たかったから、本のモデルに頼みこんだの。その時に、あのピアスをいつも付けてたから本に登場してって頼んだ。彼の記憶には残らなくても、――本の中には残るから」