この恋は、風邪みたいなものでして。

「このピアノが?」

そう尋ねられ、頷く。
ここの面接で志望動機を聞かれた時と同じ内容を、調律師の彼に言ってしまう。


「そうなんです。私が5歳のときに初めてピアノの発表会をシャングリラのホールでした時に、このピアノで弾いたんです。しかも、誕生日でした。嬉しくて――でも、幼馴染のいじめっこに可愛くセットしてもらった髪をぐしゃぐしゃにされちゃって」

あの日。
ピアノなんて興味が無いはずの幼馴染は、多分邪魔したくて発表会を見に来たんだろう。引っ張られて、グシャグシャになった髪で、私はホールを飛び出した。
母や、先生が探す中、私はどこかのテーブルの下で隠れて声を殺して泣いていた。


『わかばちゃん?』


身体を小さくして、テーブルの下を覗いてくれたのは、サラサラな髪の、優しく笑う綺麗な少年だった。

思わず涙が引っ込むような優しい笑顔で、彼は私にリボンを付けた猫を渡してきた。
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