この恋は、風邪みたいなものでして。
思わず車に轢かれた蛙みたいな情けない声が出て、辺りを見渡す。
大丈夫。お客様には聞かれていない。
「お父様にまで婚約の嘘は要らないんじゃないでしょうか!」
手に持っている朝食チケットを挟むバインダーで顔を隠し小声で言うが、颯真さんは、飄々と何食わぬ顔でバターを二個、お盆に乗せた。
「そうはいかない。茜が数日前にオヤジに自分が恋人だとアピールしたらしいから。それを否定したいからちゃんと正装してるんだ。それじゃなかったら、親と会うなんてジャージで十分だろ?」
「ぷっ 颯真さんがジャージとか想像できない」
「失礼な。持ってるぞ。ジムに通っているし」
「ジム!?」
「小説書くとあまり部屋から出なくなるから、気を付けている」
涼しい顔でそう言うけれど、颯真さんは全く行かなくても引き締まっていると思う。
「その眼は疑ってる? 疑うなら此処で脱ごうか」
「ひやー! いいです、大丈夫です、止めて下さい!」
本当にスーツのジャケットを脱ごうとしている彼につい大声を出してしまい口を両手で覆った。
すると、目を細めて彼が耳元まで屈んできた。
「その口を両手で覆う癖、可愛い」
「――!」
「オムレツ出来ましたよ」
「ありがとう」
「わーおかあさん、私も食べたいっ」
からかわれたのに、ナイスタイミングでご家族がメニューを取りに来られて、逃げられてしまった。