櫻の王子と雪の騎士 Ⅲ





「私ルミア、ルミアっていうの」



 ミルクをたっぷり飲み生まれて初めてお腹がいっぱいという感覚を経験した彼が、げふっと息吐く。


 その様子を隣でじっと見つめていたルミアが唐突にそう言った。


 勿論人狼の彼に意味が分かるわけもなく


 小首をかしげ頭にはてなを浮かべた。


 人狼と言えど見た目は細っこい子犬同然で、きゅるりとしたうるうるおめめの可愛らしいことこの上ない。


 (...かわいい)と心の中でひっそり思いつつ顔を近づける。




「ねえ、あなたは名前ある?」



 手を伸ばして彼のあごの下を撫でる。


 彼女の優しい手つきに思わず目を閉じうっとり




 その時の彼は、初めての満腹感と安心感、得も言われぬ気持ちよさによって、失念していた


 自身の毛並みが普通の犬猫のような柔らかなそれになっていたことに。




 ただただ気持ちよさそうにしている彼の隣でルミアも転がる



「...あるわけないか、でも名前がないと呼びづらいから決めていい?」


「?」


「そうだなあ.......あ、」



 何かを思いついたルミアは突然立ち上がってとことこと窓の方に向かって駆けだす。


 何事かと彼は目をぱちくり、首をもたげてそれを眺めた


 すると、



 ガチャ

 バッ!



「!!」



 ルミアは窓を開け、部屋の中から飛び出した。


 飛び上がりそうになるほど驚く彼。


 無意識のうちに後を追おうと立ち上がりかけたその時、出ていったばかりのルミアはすぐに戻ってきた。




 その手に一輪の《花》を持って




「これ、ここの庭に咲いてる花の中で一番好きな花」


「...??」


「“アイリス”っていうの」



 青みが強い緑の鮮やかな花弁


 めしべおしべが集中する中央部分ば黄色に染まっている。


 それはそれは凛として美しい花だった



「この花の、もう一つの名前、貴方にあげる」


「?」

 
「貴方は今日から『イーリス』


 よろしくね、イーリス」




 そして生まれてこの方名を持つことのなかった彼は、この日からイーリスとなった


 その美しい花の名を彼女が選んだ本当の意味を彼が知るのは、もう少し後の話




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