櫻の王子と雪の騎士 Ⅲ
観客席からは彼らが何の話をしているのかは分からない。
しかし、ただならぬ雰囲気が二人の間に流れていることだけは明白だった。
そして
次の瞬間、観客のみならず、闘技場を眺めていた騎士たちはもれなく、驚きで目を大きく見開く。
ネロが
これまで頑なに棄権をするという姿勢を貫いてきたあのネロが
頭上にあげていた自身の左手をゆっくりと下ろしたのだ。
まだ、棄権の申し出は受理されてない。
されていれば、そうアナウンスが流れるからである。
ということは、彼が棄権の考えを撤回したということだ。
「ネロ…あいつ!」
アポロもまた、驚きとそれを上回る歓喜で、思わず声を上げていた。
ステージ上ではネロがロッシュに厳しい表情のまま話しかける。
「ロッシュさん。あなたが言うように、俺が戦わないことを選んだのには理由がある。それでも、貴方はそれを承知の上で、戦うことを望むんですね」
「…!!ああ!」
「ならば、いくつか条件を聞いて下さい」
一つ、神器は使わない。
二つ、試合後いかなる結果になったとしてもその責任は負えない。
三つ、
「全力で。けして、手は抜かないでいただきたい」
ネロのその言葉に、ロッシュは満面の笑みを浮かべ
「承知!!!!」
そう叫ぶ。
それを聞き、ネロも力強く頷いた。
「それならば、俺も応えます。全力で!」
『なんと…!!なんとなんと!!あのネロ氏が戦う模様です!!過去、この舞台に3度たちながら一度たりと拳を振るわなかった男が今日!初めて!!我々の眼前にてその実力を披露します!!!』
アナウンスも予想しえなかった自体に興奮しているようだ。
心なしか声が上ずっている。
湧く会場の中心で、ネロは静かに目を閉じる。
やがて
試合開始の鐘が鳴った。
次の瞬間
ズドォオオーーン!!!!!
強大な地鳴りと轟音が会場を包む。
巨大槍の形をした岩石が、ネロに向かって何本も振り下ろされたのだ。
土煙の上がるそこにはネロの姿は愚か、地面が見えなくなるほどの岩が地面に突き刺さっている。
「約束だ!容赦はせぬぞ!!!」
ロッシュは岩石の魔力の持ち主。
【剛腕】と謳われるだけに、その戦い方は豪快で力強く、力イズパワーを全身で体現しているようなものになっている。
しかし、勿論こんな事でネロがやられるはずも無く。
地面に突き刺さる岩石が粉々に砕けちり、ネロは中から当然の如く無傷で出てくる。
その瞬間を狙い済ましたかのように、ロッシュは唸った。
「まだまだァ!!!」
〈フェルス〉ロックファイト
その呪文を唱えた途端、再び地響きが上がり、次には地面から岩が盛り上がり形を作り上げていく。
そしてそれは、やがて闘技場のステージ全体を覆い隠すほどの巨大な人の上半身に姿を変えた。
ロックハート王国伝統の魔法。
今は上半身だけだが、外であればその全身を作り出し、岩の巨神を操って戦う。
これに魔力を載せてパワーを倍増させれば、一撃の破壊力でこれに勝る技は今のところないと言えるだろう。
ロッシュはロックハート王国における、この魔法の使い手でトップの実力者。
故の【剛腕】。
「ネロ殿!!御免!!!」
ロッシュはその一言と同時に、巨神の頭上高くに振り上げていた大きな大きな拳を、文字通り全力で、身動きの取れないネロに向かって振り落とした。
轟音が鳴り響く。
会場が、街全体が揺れる。
ステージには亀裂が幾数にも走り、拳が振り下ろされた場所は見事に抉れている。
闘技場全体が、余波を感じながらもしんと静まり返った。
次の瞬間、
うわぁぁぁーーー!!!
と、大歓声が鳴り響いた。
ユウやシュベルマー、アポロのいる騎士専用の観覧席も盛り上がる。
「すげぇー!フェルダンの騎士を叩き潰したぞ、あのオッサン!」
「ロックハートのファイトフォーム、初めて見た…!!!」
「最弱とは言え、あのフェルダンに勝ったぜ!!」
とまあ、ネロの敗北とロッシュの勝利を確信し、騒いでいたのだが、アポロはそんな彼らを鼻で笑った。
「はっ、おめでたいやつらだな」
「…あ゛?何だよ、僻んでんのか?パートナーがいともあっさり負けちまったもんだから」
「アハハハッ!!その思考がめでたいって言ってんだよ、分かんないの?」
教えてあげるよ。
アポロはそれはそれは愉快そうに、皮肉っぽい笑みを浮かべて笑った。
「あいつは確かに最弱さ。なんとでも言えよ。だけどさぁ、本当に弱いと思うやつをいつまでも特殊部隊に入れておく?棄権するって分かってるのに舞闘会の度に出場させると思うか?」
もしオレ達が、お情けでネロを特殊部隊に入れていると思っているなら、とんだ馬鹿だよ、お前ら。
「ネロは弱い。だが強さ故の弱さだってある。見てな、お前らが最弱だと笑った男が、一体どれだけ『弱い』のか」