櫻の王子と雪の騎士 Ⅲ
「あーあ、つまらない。あの人、本当に戦う気ゼロみたい」
水面の上、抱えるほどの大きさの水瓶の上に腰掛け、浮いているようにも見えるルトは、そう言って大きな大きなため息をついた。
会場を大量の水が覆ってから約五分。
普通の人間なら、どんなに頑張ってももう息は続かないだろう。
ネロの気配は、まだない。
ルトはふあーーと欠伸をすると、少しばかり声を張って王族用観覧席に向けて叫んだ。
「ねぇー!もういいでしょー、あの人上がってこないし、僕の勝ちじゃんかー!!」
だが返事は帰ってこず、試合終了の合図も鳴らない。
またしてもハア、とため息をついて頭を垂れた。
「もう、神器保有者だって言うから戦いたいって言ったけどこんなヘタレな人だって分かってたら棄権してもらえば良かったぁ、時間の無駄じゃん。あーーー、早く強い人と戦いたぁーい!」
不満げに下唇を突き出し文句を垂れる。
その様はただの幼い子供のようだった。
そこからさらに数分がたった頃、ルトはもう我慢できないと、頬をぷぅっと膨らませて顔を上げた。
「もういいっ!ようは対戦相手の戦闘不能の姿が確認できればいいんでしょ!」
ガニメデス、
ルトは自分が腰掛けている水瓶にそう声掛けながらコンコンと二度叩く。
そして
「“渦潮”!!」
そう唱えた。
次の瞬間、小さな海は少しずつうねり出し、あっという間に複数の渦潮を作り出した。
轟々と音を立て勢いよく回るそれは、水中にいる生身の人間など、簡単に藻屑へと変えてしまう程の威力をもっていて。
つまり、殺す気でいるのだ、ネロを。
その一部始終を見ていた観客の中には、それを察して目を背ける者もいた。
楽しそうに自分が作った渦潮を眺めるルト。
彼の耳にある声が届く。
『──もう止めましょう、このままではあの方が…』
「なんだよ、ガニメデス。僕の言うことに文句あるの?」
水瓶の中から聞こえるそれは、神器《ガニメデス》の声。
優しく、けれど幼子を諭すにはやや力強さに欠けた声が、ルトの発言に押し黙る。
『……いえ、』
「あーあ、はやく上がってこないかなー」
ユラユラ揺れながらそんな事を言うルトの下で、会場全体がピシピシと嫌な音を立てていた。