櫻の王子と雪の騎士 Ⅲ
「もう一度言う…!下がれトリシューラ!」
『…ッウウウゥ!!ネロォ…!!』
さっきまで意気揚々と牙を向いていたトリシューラが、若干不満げながらも、その言葉に従う。
血が滴り落ちる腕から、牙が抜ける。
しかし、尚も彼は責めの姿勢を変えない。
いや寧ろ、眉間にシワを寄せ、トリシューラに一歩一歩詰め寄って行く。
「人間【ごとき】?」
「【たかだか】人間??」
「──誰が、どいつの、【供物】だって??」
「おい、いつ俺が、そんな言葉を教えたよ…!!歯ぁ食いしばれ、糞ったれが!!!」
『〜〜〜〜ッ!!?』
まるでゴゴゴゴ…!!と効果音がついているかのように、般若の如き恐ろしい表情と雰囲気で詰め寄る。
それこそ、猛獣に射すくめられた小動物ばりに、トリシューラは自身の主──ネロ・ファーナーに怯えていた。
徐々に小さくなっていく闇の体、わなわなと震える口、涙が出ようものなら泣き出しそうな勢いのその姿は、先程までの恐ろしさは微塵も感じられなかった。
ルトは驚き目を見張る。
「す、すごい…!何で…トリシューラが、人になんか絶対従いそうにないのに」
『…主だから…それが主トなったヒトの子の役割なのです…』
神器は、神の力を授かった器であるために、神の本質に強く影響を受ける。
とくに《破壊》の神器は神の凶暴性がモロに反映された性格をしている。
自由で、自己顕示欲が強く、あらゆるものを破壊する事に強烈な快感を覚える。
それと同時に、破壊こそが自身の存在意義だと認識し、その上で欲と義務感を埋めるために行動する。
問題は、彼にとって破壊の対象となるものが物や物質だけじゃなく、『ヒト』も同価値の存在であるということ。
所詮、神の器の真なる主は《神》そのもの。
人ではないのだ。
だが、彼らは人の世に産み落とされた。
人の世には人の理(ことわり)がある。
それを知らぬ神器に、人の理を外れぬよう正しき道を指し示す、それが主に選ばれた人の子のやるべき事、役割なのである。
『だかラ、唯一主の言葉だけにハ、神器は逆らえナイ…』
「そうだったんだ…」
ガニメデスの言葉に、ルトは納得する。
ようは、神器唯一の抑止剤だ。
逆に悪用しようと思えばどこまででも悪い方へ扱えるだろう。
《破壊》の神器のような凶暴性の高いものは、特に。
だから、ほかの誰でもない神器本人が選ぶのだと思う、自身を正しく扱える者を。
「仕置は後でやる…ッ!!てめえは槍の中に戻ってろ!!!しばらく食事は禁止だ!」
『エエエェェェ!!!?そりァないぜ〜!!』
「うるさい!!!」
とまあ、一通りの文句がかわされた後、ネロは勢いよく三叉槍を、騒がしさの元凶に投げ付ける。
小さくなっていた闇の身体は、槍が刺さった瞬間、ポフンッと姿を消してしまった。
ネロはそれを確認すると、王族専用の観覧席に目を向ける。
そこにいるシルベスターと視線を合わせ、頷き合うと、まるで指し示したようにアナウンスが流れた。
『──皆様、申し訳ございません。只今の試合にて予期せぬ事案が発生した為、一時中断とします。再開は再びアナウンスを入れますのでご確認ください──』
それまでの興奮混じりの実況とは違う、淡々とした声が流れる。
会場全体の緊張の糸がフッと緩むのを肌で感じながら、ネロは一人、青白い顔で額に珠のような汗をかき、小さく息を荒らげていた。