新天地へ
勇み足
とっさに来た道を戻ろうとすると、足がもつれて転んだ。
手足が急に痺れて思い通りに動かなかった。
すぐそばの草木からさっき以上に強烈な匂いがした。頭がじんじんと痺れ、手足が痙攣してがくがく震えた。目がすごく沁みてきて体の突然の変化に頭が真っ白になった。
公園をちらと見るとさっきわたしを見た奴がゆっくり立ち上がってこっちに来ようとしていた。顔も、体も、真っ暗だった。
わたしは体を転がしながら公園から這い出ようとした。みっともない、芋虫みたいな、人間をやめたような動きをした。
それでも必死に、公園を出て細い砂利道に出たとき、途端に新鮮な空気が肺に入ってきた。
まだ追いつかれそうで地面を擦りながら必死で元の道を這った。後ろを振り向いても誰も追ってはこなかった。
しばらくすると手足の痺れがだんだん薄れてきて、フェンスに捕まりながらよろよろと立ち上がった。
あの植物も、公園も、あそこにいた何かも、全てに悪意があった。わたしを絡めとろうと、人だけじゃなく全部から伝わってきた。
怖かった。人に対して思うものと異なる怖さだった。あそこで捕まっていたらどうなってたんだろう。あの現場監督が、夜は危険だと言った意味って、こういうことだったのかな。
頭の中のどろどろだったピースが乾いて、再び白く輝きだした。
そう、要するに他の道は行くなってことだ。いままで通ってきた場所も、たくさんの危険があったのかもしれない。
このピースのおかげで、わたしは奇跡的にたくさんの危険を回避していた・・・。
「だとすれば・・・、だとすれば!」
心臓がどくどく鳴る。
勝算はある。
なんの勝ち負けかはわからないけれど、わたしは新天地に行くことができる。この頭の中のピースがある限り。他の人は行けなくても、わたしは行くことができる。
体はよれよれだけれど、急に芯から力がみなぎってきた。
「そうか・・・。」
新天地にみんな関心がないんじゃない。関心のある人間がそこへ向かい、帰ってこなかった・・・。
「そして関心のない者だけが残った・・・。」
たくさんのことに無関心な、ちっぽけな自分の周りだけしか関心のない人間が残り、新天地の周囲に街を作った。
「一般的」な世界が、こうして出来上がったってわけか。
どうりで職場がクソつまらないわけだ。
全部がわたしに味方しているような気がした。気分がすごく高揚していた。頭の回転が速い。死ぬほど速い。どんな問題でも解ける。いまなら何でもできる。
「おーい、聞こえるかお前ら。」
気づけば空に向かって吼えていた。あれ、いつもとなにかヘンだぞ。わたし。
「クソ野郎どもが。お前ら・・・」
動悸が急に激しくなって立っていられなくなった。心臓がどくんどくんといままで感じたことのない振幅で波打っていた。
体中から冷汗が吹き出していた。やばい。やばい。やばい。どうしちゃったんだろう。
誰かに聞えたかもしれない。なのに立てない。今立ったら心臓が破れそうな気がした。
そのまま黙って座っていると意識が波打ち際のようにすうっと引いてはまた戻ってきてを繰り返しはじめた。
まずいと本能的に思い、わたしは近くにあった簡易便所に入りこみ、崩れるようにして便座に座りこんだ。
ふっと目を覚ますと緑の壁に囲まれた狭い空間に閉じ込められていた。
びっくりしてバランスを崩して便座からずれ落ちそうになった。
「そっか・・・。」
はっとして口元を触った。
触手は生えていなかった。
頭も体もキンキンに冷えていて、頭の左側がずきずきと痛かった。トイレの匂いが鼻について、最悪の気分だった。
自分の体を見回すと砂だらけになっていた。
壁に手をつきながらゆっくり立ち上がって、緩慢な動作で砂を払った。頭がずきずきと痛む。
脚が重くて凝り固まっていた。昨日丸一日歩いた脚の疲れが凝固してそのまま脚の重みに変わったようだった。
取っ手を回してすこし扉を開け、そっとあたりを覗いた。
しんと静まりかえっていた。空は薄っすら明るく、でも日はまだ出ていないようだった。
ゆっくり扉を開け、誰にも見られていないかあたりを見回した。
どの事務所も黄ばんだカーテンがかけられ、みんなまだ眠っているようだった。
外に出て、新鮮な空気を思いっきり吸い込んだ。頭がずきずき痛んだ。
ポケットから頭痛薬を取り出して、二錠口の中に放り込んだ。服のいたるところから便所のにおいがして、一瞬だけ捨て犬の気分に陥った。誰も拾ってくれない捨て犬。
けれど捨て犬はやがて、野犬になるのだ。
頭痛薬をポケットに入れておいて正解だった。
頭痛特有の痛みは精神に響くから嫌いだった。頭痛が起こったら一秒でも早く消火したいわたしはいつも頭痛薬を持ち歩くようにしていた。
頭痛の日の会社なんて最悪だったっけ・・・。
会社に通っていた頃が遠い日のことのように感じた。
「会社・・・。」
まずいと思って時計を確認すると、ああそうだ今日は日曜だったと思い出した。曜日感覚というか、あちらの世界での曜日というルール自体がもう遠いもののように感じた。
昨日の道に出てあの公園の方を振り返った。怖さも、暗さも、なんにも感じなかった。
今あの公園に戻ったらどうなってるかなと好奇心がわいてきたけれど、もしまだ人がうずくまってたら怖いなと思って見に行くのをやめた。
それに、昨日のあの妙な動悸と高揚、絶対あの、背の高い不気味な草のせいだと思うんだよなあ。
来た道を振り向くと、頭の中にまた、白く輝くピースがふわりと現れた。
まだ見捨ててくれてないんだ・・・。
「しかたないなあ。」
と言いつつ来た道を戻り始めた。なんだかんだ、昨日の一件以来、白いピースたちに頼りがいを感じるようになっていた。
ピースの指し示す通りに歩いていくと、案の定ずらっと酒場が並ぶ通りに出た。
通りは閑散としていた。
赤い提灯はどれも電気が消え、風に吹かれてどれもばらばらに揺れていた。
どの店も電気が消え、人ひとりとしていなかった。昨日あれだけ男たちがうじゃうじゃいたたくさんのテーブルも、昨日のままにごちゃごちゃに置かれ放置されていた。
とりあえずほっとしてわたしは通りの真ん中を歩いた。
どの店からも昨日の残り香が漂ってきて知らず知らずのうちによだれが出てきた。ああなにかあったかいもの食べたいなあと思った。
ぼんやりした頭でつらつらとそんなことを考えながら、延々と歩き続けた。
歩けど歩けど酒場は続いた。
少しずつ太陽が顔を出し、金色の光にこの世界が照らされた。
眩しさに目を細めながらわたしは顔を上げて新天地を見やった。
黒いビルも今は光を浴びて神々しかった。不思議な光景だった。漆黒なのに、輝いていた。光を浴びてもなお消えない影のようだった。
今日中には着くはずだ。いや、着いてもらわないとと思った。昨日は運が良かったけれど、このままもう一日ここで夜を迎えるなんてたくさんだ。
昨日の夜の出来事を思い出して再びぞっとした。朝だとここは本当になんの変哲もない仮設事務所、工事現場の集合地にみえるのに。
はやいとこ抜けなきゃ。
昨日昼間のこのこ歩いて、結局夜あんなことになったことを思い出して、歩くスピードをはやめた。
太陽が白かった。時計を見ると、昨日ちょうど家を出発した時とほぼ同じ時間だった。
ようやく酒場の終わりが見えてきた。遠くの方で、砂利だった道が、急に雑草が生えた荒れた道に変わっていた。それと同時に、店もぷつんと切れたようにそこで終わり、そこからは荒れたトタン小屋のような小さな小屋が連なっていた。
それにしても長い道だった。振り返ってみるとこの通りの入り口らしきものが小さく小さく微かに見えた。
「こんな端っこにまで夜はあいつらがうじゃうじゃいるのかな・・・。」
でも、わたしが男だったら、毎日ここでどんちゃん騒ぐのも楽しかったかもしれない。男で、そして触手が生えても気にしなかったら、の話だけど。
ようやく端っこにたどり着いた。一歩先はもう別の場所だ。
それでも、ここは楽しいだけの場所じゃないだろう。そのうらっかわでは、たくさんの危険が潜んでいる。あの不気味な草に囲まれて、誰かが口も利かず公園にうずくまっている。もしかしたら、ほかにもなにかいたのかもしれない・・・。
振り返って、土埃の舞う通りを最後に眺めた。
遥か遠くまで工事現場と仮設事務所が広がっていた。
「もう二度と来たくないよ。じゃあ。」
そういってまた一歩前へ踏み出した。
ここは延々と広がり続けている。わたしの居た場所にも、いつかは到達するのかな。
なんだか世界の変動の真っ只中にいるような気がした。
新天地はもうすぐに迫っていた。
さっきとはうって変わって、緑あふれる道が続いていた。
「どうしてここは工事しないんだろう・・・。」
道のすぐ脇にはぼろぼろのトタン小屋が並んでいた。扉が歪んだり、あちこちが隙間だらけだったり、小さな窓ガラスがぱりぱりに割れていたりした。
どの小屋の隙間からも植物が縫うように生えていた。
どれもこれも人は住んでいないようだった。夜歩くとここも不気味なんだろうな・・・。
道はずっと一本道のようだった。ずうっとまっすぐに歩けばいいだけだから、楽なものだけれど、どうしてかそううまくいくような気がしなかった。
歩いているうちに、トタン小屋が少しずつ気になりだした。
どうも、こんなにたくさんあるのに、どれもこれもぼろぼろで、人が住んでいないのが不思議だった。この地帯はいったいなんのためにあるんだろう・・・。
足を止め、ひとつの小屋をじっと見てみた。本当に人が住んでいる気配はないし、人が住めるようなものでもない。
ガラスが破れた小さな窓があったので、近づいて中を覗いてみた。
小屋の中は案の定テーブルやら家具などはなにもなく、床や壁は浸食した植物で覆われていた。唯一、台所と食器棚らしきものだけは残っていた。
やっぱり、誰かここに暮らしてたんじゃないかな。でもなんでここからいなくなっちゃったんだろう。そしてどうしてここの再開発を行わないのだろう。わたしならまっさきに潰してビル建てるけどな。
すると新しいピースが頭の中に現れた。方向はまっすぐじゃなくて、すぐ左手の小屋を指していた。
「入れってこと?」
頭の中にそう聞いてみてもそこには燦然と輝くピースがあるだけだった。
妙な胸騒ぎがして急いで小屋に入った。錆びて固まった扉を全体重をかけて引っ張ってようやく人ひとり入れる幅を作った。
中はさっき覗いた小屋とほとんど変わらなかった。しいて言えば台所の位置が右手にあったことぐらいだった。
上も下も横も全部植物に囲まれるのはなんだか気味が悪かった。へんな虫がそばにいそうだったし、昨日の晩のこともあった。
この植物は不気味だとかは感じなかったけれど。
ここからどこへ行けばいいんだろうと思って頭の中を覗くと、ピースはこの位置をまだ指していた。
なにかを感じてそのままじっと息を潜めていると、気のせいか地面が僅かに振動しているような気がした。
下を見てもなにも起きていなかった。なんだか嫌な予感がしてそっとしゃがんで草むらに隠れた。扉はわたしが開けたまま、少しだけ隙間が開いていた。
地響きがだんだん大きくなってきた。もう気のせいなんかではなかった。最初は地震か工事のなんかかと思ったけれど、そうではないようだった。地響きはだんたん大きくなり、なにかがこちらに近づいているようだった。
新天地のほうからだ・・・。なにかがこっちへ来る。怖いのと気になるのとで足と地面がくっついて動けなくなった。
非常にゆっくりだ。どしん、どしん、時計の針よりも遅い歩調。すごく重そうだ。
手足が急に痺れて思い通りに動かなかった。
すぐそばの草木からさっき以上に強烈な匂いがした。頭がじんじんと痺れ、手足が痙攣してがくがく震えた。目がすごく沁みてきて体の突然の変化に頭が真っ白になった。
公園をちらと見るとさっきわたしを見た奴がゆっくり立ち上がってこっちに来ようとしていた。顔も、体も、真っ暗だった。
わたしは体を転がしながら公園から這い出ようとした。みっともない、芋虫みたいな、人間をやめたような動きをした。
それでも必死に、公園を出て細い砂利道に出たとき、途端に新鮮な空気が肺に入ってきた。
まだ追いつかれそうで地面を擦りながら必死で元の道を這った。後ろを振り向いても誰も追ってはこなかった。
しばらくすると手足の痺れがだんだん薄れてきて、フェンスに捕まりながらよろよろと立ち上がった。
あの植物も、公園も、あそこにいた何かも、全てに悪意があった。わたしを絡めとろうと、人だけじゃなく全部から伝わってきた。
怖かった。人に対して思うものと異なる怖さだった。あそこで捕まっていたらどうなってたんだろう。あの現場監督が、夜は危険だと言った意味って、こういうことだったのかな。
頭の中のどろどろだったピースが乾いて、再び白く輝きだした。
そう、要するに他の道は行くなってことだ。いままで通ってきた場所も、たくさんの危険があったのかもしれない。
このピースのおかげで、わたしは奇跡的にたくさんの危険を回避していた・・・。
「だとすれば・・・、だとすれば!」
心臓がどくどく鳴る。
勝算はある。
なんの勝ち負けかはわからないけれど、わたしは新天地に行くことができる。この頭の中のピースがある限り。他の人は行けなくても、わたしは行くことができる。
体はよれよれだけれど、急に芯から力がみなぎってきた。
「そうか・・・。」
新天地にみんな関心がないんじゃない。関心のある人間がそこへ向かい、帰ってこなかった・・・。
「そして関心のない者だけが残った・・・。」
たくさんのことに無関心な、ちっぽけな自分の周りだけしか関心のない人間が残り、新天地の周囲に街を作った。
「一般的」な世界が、こうして出来上がったってわけか。
どうりで職場がクソつまらないわけだ。
全部がわたしに味方しているような気がした。気分がすごく高揚していた。頭の回転が速い。死ぬほど速い。どんな問題でも解ける。いまなら何でもできる。
「おーい、聞こえるかお前ら。」
気づけば空に向かって吼えていた。あれ、いつもとなにかヘンだぞ。わたし。
「クソ野郎どもが。お前ら・・・」
動悸が急に激しくなって立っていられなくなった。心臓がどくんどくんといままで感じたことのない振幅で波打っていた。
体中から冷汗が吹き出していた。やばい。やばい。やばい。どうしちゃったんだろう。
誰かに聞えたかもしれない。なのに立てない。今立ったら心臓が破れそうな気がした。
そのまま黙って座っていると意識が波打ち際のようにすうっと引いてはまた戻ってきてを繰り返しはじめた。
まずいと本能的に思い、わたしは近くにあった簡易便所に入りこみ、崩れるようにして便座に座りこんだ。
ふっと目を覚ますと緑の壁に囲まれた狭い空間に閉じ込められていた。
びっくりしてバランスを崩して便座からずれ落ちそうになった。
「そっか・・・。」
はっとして口元を触った。
触手は生えていなかった。
頭も体もキンキンに冷えていて、頭の左側がずきずきと痛かった。トイレの匂いが鼻について、最悪の気分だった。
自分の体を見回すと砂だらけになっていた。
壁に手をつきながらゆっくり立ち上がって、緩慢な動作で砂を払った。頭がずきずきと痛む。
脚が重くて凝り固まっていた。昨日丸一日歩いた脚の疲れが凝固してそのまま脚の重みに変わったようだった。
取っ手を回してすこし扉を開け、そっとあたりを覗いた。
しんと静まりかえっていた。空は薄っすら明るく、でも日はまだ出ていないようだった。
ゆっくり扉を開け、誰にも見られていないかあたりを見回した。
どの事務所も黄ばんだカーテンがかけられ、みんなまだ眠っているようだった。
外に出て、新鮮な空気を思いっきり吸い込んだ。頭がずきずき痛んだ。
ポケットから頭痛薬を取り出して、二錠口の中に放り込んだ。服のいたるところから便所のにおいがして、一瞬だけ捨て犬の気分に陥った。誰も拾ってくれない捨て犬。
けれど捨て犬はやがて、野犬になるのだ。
頭痛薬をポケットに入れておいて正解だった。
頭痛特有の痛みは精神に響くから嫌いだった。頭痛が起こったら一秒でも早く消火したいわたしはいつも頭痛薬を持ち歩くようにしていた。
頭痛の日の会社なんて最悪だったっけ・・・。
会社に通っていた頃が遠い日のことのように感じた。
「会社・・・。」
まずいと思って時計を確認すると、ああそうだ今日は日曜だったと思い出した。曜日感覚というか、あちらの世界での曜日というルール自体がもう遠いもののように感じた。
昨日の道に出てあの公園の方を振り返った。怖さも、暗さも、なんにも感じなかった。
今あの公園に戻ったらどうなってるかなと好奇心がわいてきたけれど、もしまだ人がうずくまってたら怖いなと思って見に行くのをやめた。
それに、昨日のあの妙な動悸と高揚、絶対あの、背の高い不気味な草のせいだと思うんだよなあ。
来た道を振り向くと、頭の中にまた、白く輝くピースがふわりと現れた。
まだ見捨ててくれてないんだ・・・。
「しかたないなあ。」
と言いつつ来た道を戻り始めた。なんだかんだ、昨日の一件以来、白いピースたちに頼りがいを感じるようになっていた。
ピースの指し示す通りに歩いていくと、案の定ずらっと酒場が並ぶ通りに出た。
通りは閑散としていた。
赤い提灯はどれも電気が消え、風に吹かれてどれもばらばらに揺れていた。
どの店も電気が消え、人ひとりとしていなかった。昨日あれだけ男たちがうじゃうじゃいたたくさんのテーブルも、昨日のままにごちゃごちゃに置かれ放置されていた。
とりあえずほっとしてわたしは通りの真ん中を歩いた。
どの店からも昨日の残り香が漂ってきて知らず知らずのうちによだれが出てきた。ああなにかあったかいもの食べたいなあと思った。
ぼんやりした頭でつらつらとそんなことを考えながら、延々と歩き続けた。
歩けど歩けど酒場は続いた。
少しずつ太陽が顔を出し、金色の光にこの世界が照らされた。
眩しさに目を細めながらわたしは顔を上げて新天地を見やった。
黒いビルも今は光を浴びて神々しかった。不思議な光景だった。漆黒なのに、輝いていた。光を浴びてもなお消えない影のようだった。
今日中には着くはずだ。いや、着いてもらわないとと思った。昨日は運が良かったけれど、このままもう一日ここで夜を迎えるなんてたくさんだ。
昨日の夜の出来事を思い出して再びぞっとした。朝だとここは本当になんの変哲もない仮設事務所、工事現場の集合地にみえるのに。
はやいとこ抜けなきゃ。
昨日昼間のこのこ歩いて、結局夜あんなことになったことを思い出して、歩くスピードをはやめた。
太陽が白かった。時計を見ると、昨日ちょうど家を出発した時とほぼ同じ時間だった。
ようやく酒場の終わりが見えてきた。遠くの方で、砂利だった道が、急に雑草が生えた荒れた道に変わっていた。それと同時に、店もぷつんと切れたようにそこで終わり、そこからは荒れたトタン小屋のような小さな小屋が連なっていた。
それにしても長い道だった。振り返ってみるとこの通りの入り口らしきものが小さく小さく微かに見えた。
「こんな端っこにまで夜はあいつらがうじゃうじゃいるのかな・・・。」
でも、わたしが男だったら、毎日ここでどんちゃん騒ぐのも楽しかったかもしれない。男で、そして触手が生えても気にしなかったら、の話だけど。
ようやく端っこにたどり着いた。一歩先はもう別の場所だ。
それでも、ここは楽しいだけの場所じゃないだろう。そのうらっかわでは、たくさんの危険が潜んでいる。あの不気味な草に囲まれて、誰かが口も利かず公園にうずくまっている。もしかしたら、ほかにもなにかいたのかもしれない・・・。
振り返って、土埃の舞う通りを最後に眺めた。
遥か遠くまで工事現場と仮設事務所が広がっていた。
「もう二度と来たくないよ。じゃあ。」
そういってまた一歩前へ踏み出した。
ここは延々と広がり続けている。わたしの居た場所にも、いつかは到達するのかな。
なんだか世界の変動の真っ只中にいるような気がした。
新天地はもうすぐに迫っていた。
さっきとはうって変わって、緑あふれる道が続いていた。
「どうしてここは工事しないんだろう・・・。」
道のすぐ脇にはぼろぼろのトタン小屋が並んでいた。扉が歪んだり、あちこちが隙間だらけだったり、小さな窓ガラスがぱりぱりに割れていたりした。
どの小屋の隙間からも植物が縫うように生えていた。
どれもこれも人は住んでいないようだった。夜歩くとここも不気味なんだろうな・・・。
道はずっと一本道のようだった。ずうっとまっすぐに歩けばいいだけだから、楽なものだけれど、どうしてかそううまくいくような気がしなかった。
歩いているうちに、トタン小屋が少しずつ気になりだした。
どうも、こんなにたくさんあるのに、どれもこれもぼろぼろで、人が住んでいないのが不思議だった。この地帯はいったいなんのためにあるんだろう・・・。
足を止め、ひとつの小屋をじっと見てみた。本当に人が住んでいる気配はないし、人が住めるようなものでもない。
ガラスが破れた小さな窓があったので、近づいて中を覗いてみた。
小屋の中は案の定テーブルやら家具などはなにもなく、床や壁は浸食した植物で覆われていた。唯一、台所と食器棚らしきものだけは残っていた。
やっぱり、誰かここに暮らしてたんじゃないかな。でもなんでここからいなくなっちゃったんだろう。そしてどうしてここの再開発を行わないのだろう。わたしならまっさきに潰してビル建てるけどな。
すると新しいピースが頭の中に現れた。方向はまっすぐじゃなくて、すぐ左手の小屋を指していた。
「入れってこと?」
頭の中にそう聞いてみてもそこには燦然と輝くピースがあるだけだった。
妙な胸騒ぎがして急いで小屋に入った。錆びて固まった扉を全体重をかけて引っ張ってようやく人ひとり入れる幅を作った。
中はさっき覗いた小屋とほとんど変わらなかった。しいて言えば台所の位置が右手にあったことぐらいだった。
上も下も横も全部植物に囲まれるのはなんだか気味が悪かった。へんな虫がそばにいそうだったし、昨日の晩のこともあった。
この植物は不気味だとかは感じなかったけれど。
ここからどこへ行けばいいんだろうと思って頭の中を覗くと、ピースはこの位置をまだ指していた。
なにかを感じてそのままじっと息を潜めていると、気のせいか地面が僅かに振動しているような気がした。
下を見てもなにも起きていなかった。なんだか嫌な予感がしてそっとしゃがんで草むらに隠れた。扉はわたしが開けたまま、少しだけ隙間が開いていた。
地響きがだんだん大きくなってきた。もう気のせいなんかではなかった。最初は地震か工事のなんかかと思ったけれど、そうではないようだった。地響きはだんたん大きくなり、なにかがこちらに近づいているようだった。
新天地のほうからだ・・・。なにかがこっちへ来る。怖いのと気になるのとで足と地面がくっついて動けなくなった。
非常にゆっくりだ。どしん、どしん、時計の針よりも遅い歩調。すごく重そうだ。