パッシングレイン 〜 揺れる心に優しいキスを
②忘れるべき落とし物
――いけない! 遅刻だ!
確か、今日は新しい部長が支社から来る日だ。
初日早々、遅刻する部下だという悪印象を植え付けたくない。
「行ってきます」とひと声かけ、大慌てで家を飛び出した。
ひとしきり降った霧雨も今朝はすっかり上がって、雲の切れ間から太陽が顔を覗かせていた。
夕べのことが、まるで嘘みたいだ。
あっくんから婚約者だと紹介された彼女のことも、取り乱して、偽りの“篤哉”に抱かれたことも。
自分の身に起こったことなのに、どこか俯瞰から眺めるような、そんな気分だった。
本当に夢だったら良かったのに。
そう願ったけれど、目覚めてシャワーを浴びたカラダには、“篤哉”が付けた赤い痕が残されていた。
大学を卒業してすぐに就職した大手の商社。
国内に事業所や支社を二十社ほど、海外には十社の拠点を構えている。
私はその本社の経営企画部で事務をして五年目を迎えた。
自宅から駅までは歩いて七分、電車を乗り継いで二十分、さらに駅から会社まで歩いて五分というところだ。
その最寄り駅から走ること三分、午前八時半の始業時間に何とか間に合うことができた。