彼は誰時のブルース



 そこで視線を感じた。

 奥様の右隣、私が取り損ねた水色のコップを持つ男の子が、無表情で私を見ていた。

 奥様と同じ黒髪。鼻筋が通り、切れ長の目。奥様よりくっきりした顔立ちだが、どことなく似ている。その容姿からその子が、宇野家の次男坊、私と同い年のヒロくんであると分かった。

 目が合うとすぐ彼はプイと視線を外し、隣の子に話しかけた。打って変わり、無表情から笑顔に変わって。

 あぁ、彼は見ていた。私が、手を払いのけられたところ。それで、見なかったふりをしたのだ。

 顔が熱かった。喉上から迫り上がる温度に思わず顔をしかめた。部屋の温度のせいじゃない。

 この時は、その感情をなんていうか。
 知らなかった。



 決定的だったのは、この後の話だ。

「甘いの食べたいなぁ」


 その声は、ヒロくんだった。

 皿のお菓子はほとんどなくなっていたが、飲むものもない私はほとんど手をつけなかった。

 途端に立ち上がる奥様。どことなく嬉しそうな顔をしたのを覚えている。


「みんな、まだお腹大丈夫?」


 奥様の問いに口を揃えて子供達は、大丈夫でーす、と笑顔で言った。

「よかった、実はクッキーを焼いたのよ。今持ってくるわね」

 立ち上がってキッチンに消える奥様。
 なんとなく静かになる子供達。

 私は、出すには今しかないと思った。


 ちょっとごめん、と皿を自分の方に寄せ、紙袋からタッパーを取り出してクッキーとシュークリームを置いた。(シュークリームは溶けてないか心配だったけど、しっかり保冷剤が入っていた)

 突然の私の行動にア然とする子供達。


「これも、食べて」


 皿を真ん中にずらすと、うわぁ、とみんなは歓声を上げてお菓子を食べ始めた。


「つむぎちゃんのお母さん、料理すっごいうまいんだぜ!」


 蓮くんもナイスフォローで、私はようやく、子供達の輪に入ることができた。


「つむぎちゃんのお母さんすごぉい」

「へへ、ありがとう」

「今度教えてほしいよ」


 ようやく女の子とも仲良く話せてニコニコ笑顔でいたら、また視線を感じた。

 やっぱり、ヒロくんだ。

 私の出した母さんのお菓子は食べていないようだった。

 じ、となんとなくヒロくんを睨んだ。
 意地悪な奴、そう目で言った。


 でもヒロくんは、私をただ無表情に見ていた。見透かしたような目。


 今度は私が視線を外した。お返しをしたわけではない。その微妙な表情に、なんだか違和感を覚えたからだ。

 その時、キッチンへ続くドアが開いているのに気付いた。その先には、奥様がトレーを手に立っていた。

 お皿に積んだお菓子。

 でもその形は、私の母さんが作ったものよりも、少し不恰好だった。

 くるりと踵を返す奥様。
 その後ろ姿がキッチンに消えていく。

 私は、その時はなぜお菓子を出さなかったのか、分からなかった。
 
 その後、子ども会が終わり玄関で靴を履く私に、奥様はこう言った。


「つむぎちゃん、次からは早めにお菓子出してね」


 それだけだった。

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