彼は誰時のブルース
「ねえ、田之倉いる?」と、後ろで誰かが私の名前を呼んだ。
わりと大きい声が教室に響いて、近くにいたクラスメイトも数人顔を上げる。振り向くと、野球部のマネージャー、佐々木さんが教卓の前に立って、教室をきょろきょろ見渡していた。彼女の声は常に大きい。
恥ずかしい、と頬を掻きながら「なに?」と仕方なく教卓の方へ歩き出した。
「いるなら返事してよ」
佐々木さんは苦そうな顔で私を非難する。返事したじゃないか。ここはグラウンドじゃないんだ音量注意しろ。と心の中で反論する。
私の後ろの席でもある佐々木さんは、学級委員もやっている。学級委員の仕事で、私になにか用があるのかもしれない。
「…ごめんなさい、佐々木さん」
と謝ると佐々木さんは、
「あぁ別に。ほら、呼んでる」
と親指を横のドアの方へつき立てた。言われた方角に目を向ける。
途端に、目を見開いた。
私を呼んでいるという相手は、教室のドアの前で、気まずそうに立っている。
宇野泰斗だった。既に私に気付いていたようで、目が合うと彼は控えめに片手を振った。
「なんで…」
あの雨の夜から何日も経っている。その間、私は謝りにも行かなかった。
宇野だって、あんな敵意を向けられて、どうして私に会えるんだろう。
顔を背けようとした時、ふと、周りの視線を感じた。
文系クラスは向かいの校舎だ。用がある時は、大抵渡り廊下で落ち合う。ほとんどの部活が引退する中、授業間の小休憩にわざわざ来るのは、その人によっぽどの連絡があるか、カップルくらいだ。
そんな理由でクラスメイト連中が、私とクラスの違う宇野が面会する場面を、なんとはなしに見ている。気がした。
机の間を急いですり避けて、廊下に出る。教室から死角に立って彼と対峙した。