彼は誰時のブルース



「やめてよ、そんな嘘」

 きつい言い方になった。途端に頭が警戒音を出す。これ以上言うなって。そんな自分が嫌になる。推し量って警戒して言葉を選ぶ。息がつまる。その繰り返しなんて、辛いだけじゃないか。


「本当だよ」

 でも、と宇野は私を見据えて言った。


「俺にだって、わだかまりは、ある」


 脚がすくんだ。貰った弁当箱の入った紙袋が途端に重く感じられる。

 なんだって、こんな2限が始まる時に、そんな動揺することを言うんだ。


「俺の父親が、あの団地の中で重役で幹部だっていうことが、少なからず、起因しているんだろう」


 宇野はおそらく、私が一番触れたくて。触れられない核心部分に、言及している。宇野が、乾いた笑い声を上げた。


「だから俺が傲慢に見える。上から見下ろす…態度がうざったくて、仕方ない。なぁ田之倉、この前ぶちまけたみたいに、そう言えよ」


 挑発的な言葉。でも覇気がない。ただ、縋るように私を見ている。彼は、何を聞きたいんだろう。私に何を言わせたいんだろう。

 なぜ触れない。私や周りの謙る態度に、打算的な行動に、腹が立っていたんでしょう。分からない。ずっと。その悪意のなさが。抱える私への負の感情が、見えない。

 なぜ?どうして?

 あなたの言うわだかまりは、どこに置いてきたの。
 どうして私に話しかけてきたの。なにを望んでいたの。

 本音が見えない。私への怒りを露わにした中学時代の方が、まだマシだった。



「……ごめん」

 宇野は瞬きをして、私から目を背けた。


「つまり…クソみたいな団地に、もう気を遣わなくていい。ビクビクしなくていい。振り回されなくていい。自分…らしく、居てほしい」


「ただずっと、それが……言いたかっただけ」



 もう授業始まってるな、と宇野が呟いた。そのまま彼は、立ち竦んだ私を見ずに、横を通りすがった。

 足音が遠のいていく。


「…っ」

 息を呑んだ私は、振り返って彼の後ろ姿を見た。

 少し猫背の背中。人のいない廊下を、気怠げに歩いていく。



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