彼は誰時のブルース
母が泰斗の腕を絡ませる。泰斗は一瞬驚いた表情になったが、口角を上げて微笑み返した。「…ありがとう。それじゃあ弁当、宜しくお願いします」と言った。
前髪がかかって表情が見えない。泰斗は俺の横をすり抜けて自分の部屋に入った。
「かあさん、もう夕食食べるの?」
「後もう少しかかるけど」
「じゃあちょっと公園で泰斗と久々話してくるわ」
あまりいい顔をしなかった母を尻目に、泰斗の部屋をノックなしで「よう」と開けた。
部屋は真っ暗だった。
「なんだよ、電気くらい付けろよ」
「…あ、兄貴。なに?突然帰ってきて。なんかあったの?」
ベッドに座る泰斗が、眩しそうに俺を見る。
「あぁ、外で話さないか?」
そう言ってハンガーポールにかかった上着を、軽く投げつけた。
「結婚する」
外に出て、自販機でコーヒーを買う。近くの公園のベンチに座る泰斗に手渡して、そう言った。
「…ふうん」
「お前もかよ!かあさんにもさっき言ったけど。良いんじゃないの、の一言よ。親父にも話したかったんだけど、家にいねえし」
「良いんじゃない」
心底興味のなさそうな返答。上の空だ。昔はこんな、ぼうっとした奴じゃなかったのに。
わしゃわしゃと泰斗の頭を撫でる。辞めてよ、と頼りない声を出すもんだから、バシッと肩を叩いた。
「心配なんだよ」
「なにが?」
「俺が大学に入って俺がこの家を出た頃かな。お前……なんかあったよな」
しゃがみ込んで、下を向く泰斗の顔を覗き込んだ。泰斗は表情を変えない。
「なんかって?」
「見たんだわ、1年前に久々、帰ってきた時。お前がサッカーシューズ捨てるところ」
カッターかなにかで切り刻まれたサッカーシューズを、隠すように下のゴミ置き場に捨てるところを見た。自分で、小学生から続けているサッカーの靴をあんな風に切り刻むとは思えなかった。
「お前とは…異母兄弟でもな。正真正銘、兄弟だ。ずっとその思いは変わらないから。本当に、困ったことがあるなら、もっと頼れよ」