恋風吹く春、朔月に眠る君
「『それくらい、その旅に行く前に会えないその人に、会いたいと思っていたんだね。それがその人にだけ伝わるように残したんだね』と、貴女はそう言いました」
今にも泣きだしそうな顔だった。その時の私はそこまで深く考えてなかった。それでも、これを残した人と、残された人が、この言葉が要らなければいいのにと思っていた。でも、それは叶わなかったんだね。
「ずっと、先生は置いて行ったんだと思っていました。私なんかどうでも良くて、だから、こんな和歌だけ残していなくなったんだと思っていました」
嗚呼、涙が零れ落ちる。そう思った時には、付喪神の光で輝く雫が零れ落ちて、床に弾かれた。
「でも、貴女に言われて漸く気付きました。本当は、そんなことする人じゃないんです。寂しくて、寂しくて、その気持ちだけが先走って、先生は置いて行ったのだと思ったんです」
先生に出会うまで、人と関わってこなかった木花には付喪神しか傍にいなかった。だから、先生がいなくなって、誰にも話せずに、どこへも持って行けずに苦しんだ。その痛みを私はよく知っている。溢れた想いと孤独が木花の心を蝕んだのは容易に想像できた。
「あの文字を見ても、それまで誰もその歌の意味を知ることも、寄り添ってくれるようなこともありませんでした。それは当然です。私以外には、ただの落書きです。
でも、双葉さん。貴女だけは、意味を知ろうとしてくれて、あの人の心に寄り添ってくれたんです。たったそれだけのことかもしれません。でも、私にはそれだけで十分なくらい、貴女に救われたんです」
私が君を見つけた時から今まで、私は何も返せていないと思ってた。でも、ずっと私を勇気づけてくれたそれこそが彼女にとってのお礼だった。心当たりなんて見つかるわけない。視える力を持っていない私の世界と幽霊の木花の世界はそもそも交わることはなかった。対価と引き換えに私の目に映ることを望んだから、私は貴女に会えたんだね。最期の日の最期の時間になって、知る事実が悲しくて、暖かくて、泣き虫な私の目はもう膜を張って視界が歪む。