恋風吹く春、朔月に眠る君
「なんでそんな大事なこともっと早くに言ってくれなかったの」
「元より伝えるつもりはありませんでしたから。せいぜい2週間いた幽霊のことくらい、すぐに忘れるでしょう? それより悩んでる貴女の応援がしたかったんです」
聞き捨てならない言葉だった。私の中の何かがぶちっと切れたような、流れる血流が突然熱を上げて脈を上げたような、その勢いのままに声を荒げていた。
「忘れるわけないよ! 私のこと一生懸命応援してくれた友達のこと、忘れられるわけない! 今日、あの和歌を寝ぼけてる私に言ったのは気付いてほしかったからでしょ!? 勝手なことばかり言わないで!」
すぐに忘れられると思われたことが悲しい。すごく心外だ。どうしようもない怒りがはらはらと頬を伝う。本当はこんな風に泣きたくはなかった。
「許してあげて」
音もなくそっと近づいた光は桜の木だった。人の形をしていないそれは言葉からしか気持ちを読み取るのが難しい。
「人の友達なんていなかったから、分からなかったの。貴女にとっては友人だったかもしれないけど、サクヤは友達というのものを知らなかったから、恩人としてお礼を返すことしかできなかったの」
人の友達なんていなかった。その言葉にハッとする。知っていたじゃない。ずっと、人と関わってこなかったこと。先生だけが特別だったこと。先生は友達じゃなくて、好きな人だった。記憶を失った彼女には友達はいなかったのだろう。
すぐに申し訳なくなって、木花に謝ろうと向き直る。そこで、大粒の涙を流して、綺麗な顔をぐちゃぐちゃにして泣く姿を見て、気が動転した。
「ご、ごめんっ、泣かせるつもりじゃなくて! 何も知らないまま傷つけてごめんね!」
焦って木花の元へ駆け寄った。手を伸ばして涙を拭おうとして、止めた。行き場を失った手が空を彷徨う。
「違う、んです....!」
木花は溢れる涙を耐えて、首を大きく振って否定した。雪のように白く細い手が伸びてきて、私の手を包むように動く。これ以上、私達の世界が交わることはないのに、木花の冷たい手に触れた気がした。