恋風吹く春、朔月に眠る君
「お疲れ様。急いできてくれたの?」
バタバタと忙しなく音を立てて来たのが分かったのだろう。こくりと頷いて『ちょっと忘れかけてて遅くなったから』と返し、傍に寄った。
「えー、ひどいなあ。待ってたのに」
「ごめんね」
「まあ、思い出して来てくれたならいいよ」
すぐに許してくれた朔良はまた、ピアノを弾き出した。まだ、帰るつもりはないらしい。その様子を感じて近くの机に鞄を乗せた。朔良とピアノ越しに向かい合わせになるように立ち、ピアノに肘をつく。朔良の指から奏でられるメロディーはさっきと同じ。
「最近よくそれ弾いてるね」
「うん、気に入ってるからね」
「私も好き。朔良が一番生き生きと弾くから」
「ありがとう。でも、タイトルわかんないでしょ」
絶対分からないことを解っているような態度で朔良は意地悪に笑った。本当に、むかつく。分からないのに分かるとも言えないけど、分からないとも言いたくなくて黙ってたら朔良が先に言った。
「モーリス・ラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』だよ。ノスタルジックで叙情的な曲だからかな。この曲を弾きながら、あの日を思い出してた」
あの日、それは木花がいなくなった日のことだろう。私は片時も忘れられそうにないけれど、朔良も思うところがあるのだろうか。
「あの子はずっと此処にいた理由は友達が欲しかったからだと言った。幽霊になってもこの学校にずっと留まりたいほどの願い。なんとなく、想像できるものがあるよね」
朔良の言いたいこと、なんとなく分かる。生前の彼女には友達がそもそもいなかったのかもしれない。あるいは友達だと思っていたけど裏切られたのかもしれない。憶測だけど、そういう悲しい話が彼女の身にも降りかかったのかもしれない。
「母さんはこの学校の卒業生だったことを思い出して、聞いてみたんだ。昔、死んだ子が幽霊になって現れるみたいな話なかった? って」
ごくりと、唾を飲む。まさか、と思う。
「.....あったんだよ。母さんが卒業してから20年くらい経つから、もう40年くらい前かな。見た目の美しい女の子がいて、その容姿を羨んだ人達が酷いいじめで自殺に追い込んだらしい。その幽霊が桜の木の近くに現れるってね」