恋風吹く春、朔月に眠る君
何が言いたいんだろう。でも、それを言う気にもなれなかった私はシャーペンを滑らす手を止めて、黙って彼の言葉に耳を傾けた。
「もし、本当に桜の木の下に死体が埋まっているとして、あんな禍々しい色した血液なんて猛毒だろうになあ」
続いた言葉は本当に私と会話するつもりがあるのかと思う程、意味の分からないものだった。寧ろ、独りごとだったような気もする。
こうして私には到底理解できない難解な例え話をしている間にも、彼はページを繰る手を止めない。表情は尚も見えない。本当に鬱陶しい奴だ。言うだけ言っておいて、勝手に読書を楽しんでいるんだから。
彼みたいに頭の良くない私には一度で飲み込めない言葉がたくさんあることを知らないみたいだ。いや、知っていて言っているのか。彼はそういう人間だったことをうっかり忘れていた。
「そんなの私に聞かれても分かんないし」
面倒になった私はまたシャーペンを持つ手に力を込めて動かす。
「......そうだね」
ちょうど小さな返事が返ってきたとき、彼の向こうの窓越しに見える桜が、風の唸る音と共に多くの花弁を散らした。ひらひらと花弁が地へと落ちていく。
その中の一つがふわり、彼の机に音もなく降り立つ。
――それきり、彼は何も言わなかった。
乾いた返事が少しだけ寂しそうで、面倒だと適当に返さなければ良かったと少しだけ後悔した。そして、なんとなくその話は印象的で頭から離れることはなかった。
それは、彼の名が古館朔良(フルタチサクラ)だからかもしれない。
まだ中学の学生服を着た朔良がどんな意味を込めてそれを話したのか、未だに私は分からない。
ただ、彼がまた言いたいことを飲み込んだ気がした――。