恋風吹く春、朔月に眠る君
とても美しかったらしいその女神の名は、目の前の彼女にぴったりだと思ったんだ。
まさか、知っているとは思わなかったけど。
「そう、幼馴染が朔良だから、咲耶だと似ててややこしいし、木花の方をもらおうかなって」
「とても良い名ですね。まさか、そんな良い名を貰えるとは思いませんでした」
いつも基本的ににこにこしている彼女だけど、その時の笑顔は違った。宝物をもらったように溢れる笑顔がきらきらと輝いて、その時だけはなんだか同い年くらいの女の子に見えた。
それほど気に入ってもらえると思わなくて、私も自然と口角が上がる。
「喜んでもらえてよかったー。センスないです、とか言われたらどうしようかと......」
そこまで言って、はっと口に手を当てた。言わないつもりでいたことまでぺらぺらと喋るなんて、浮かれ過ぎだ。
「ふふっ、双葉さんは正直な人ですね」
ほら、からかわれた。少しだけ居心地が悪くて、目を逸らす。でも、楽しそうに笑ってくれることが嬉しくて、いつもみたいに言い返せなかった。
「ねえ、もし言いたくなかったら答えなくてもいいんだけどね。生前の記憶がないって言ったよね。本当に何も覚えてないの?」
和やかな空気を壊したくはなかったけど、このまま聞けないままずるずる気になりそうだった。だから、様子を伺いつつ質問した。
「ええ、何も覚えてませんよ」
先程までの柔らかな空気を微動も変えずに言い切る。この前も自然に答えていたけど、本当に記憶がないことに対してマイナスの感情を持っていないようで、質問の答えよりそれの方が気になった。
「厳密に言うと、覚えてないのはエピソード記憶です。家族と一緒に旅行に行ったとか、友達と映画を見たとか、そういう思い出の類が全てないんです。
意味記憶と呼ばれる、所謂知識の記憶や身体が覚えているといわれるような記憶などは覚えてますよ。でも、それにも例外があって、人の名前とか誕生日とか、そういう人に関する記憶は知識の記憶でも忘れています。
私も人だったわけですから、自分も然りです。自分の名前も誕生日も血液型も分かりません。もちろん、家族の名前も分かりませんし、関わりのあった人の名前も分かりません」
軽やかに説明されたけど、難しい言葉が出てきて、なんとなくしか分からなかった。それが伝わってしまったらしい。木花はくすくすと笑った。