恋風吹く春、朔月に眠る君
今日は肌を柔らかく温めるような太陽が暖かい日だ。春の訪れを象徴する桜が今年もちらほらと咲いている。中庭の桜の木を流し見て、通り過ぎようとした時、足を止めた。
「なんであんなところに着物の女の子が......」
無意識に出た言葉が風に攫われていく。みんな狭い教室の中でぎゅうぎゅうになって授業を受ける日々から解放された春休み一日目。
春休みもやるような活発な活動をしている部活の子達と先生しかいないようなこんな場所で、花の色と同じ色の着物を着た彼女はとても浮いて見えた。
なのに、周りの人達には見えていないようで、誰一人として彼女の存在に気付いていない。
不意に彼女がこちらを向いた。交わる視線の先で彼女が小さく微笑む。その瞬間、心臓を掴まれたみたいな感覚がして思わず目を逸らした。
人ならざる者を見てしまったのではないかという事実に少しだけ恐怖を覚える。纏わり付くような違和感を振り払うように、私は肩から下げたスポーツバッグをぎゅっと握りしめて、部活へ向かった。
その日の部活は全然集中が出来なかった。あれはなんだったんだろう? あまりにも唐突のことだったから、あれが本当にあったことなのか不安になる。
さっきの桜の木の下にいた女の子はまだいるだろうか。だったらそれはそれで怖い。中庭を通らないと帰ることができないのに、まだいた時、私はどうすればいい?
恐怖で竦みそうになる足をゆっくり動かして、いざ足を踏み入れる。そっと桜の下に目を遣るけれど、彼女はいなかった。ふーっと息を吐く音で、思わず息を詰めていたことに気付く。
「やっぱり、見間違いかな」
部活前のあれがなんだったのか、結局分からなかった。見間違うほど眠くて頭が回ってなかったとかそんなはずはないんだけど。
でも、見たのは一瞬だけだったから、やっぱり見間違いかもしれない。うん、その方が私は嬉しい。
そろそろ帰ろうと歩を進めようとして、どこからかピアノが聞こえてきていることに気付いた。