恋風吹く春、朔月に眠る君


不意に出てきた楓という名前に驚いた。なんで、そんなに楓を誘いたかったんだろう。いつも行かないのにわざわざ誘って、今も勿体ないとでもいうような感想が引っかかる。


「朔良も人多いの好きじゃないでしょ。仕方ないよ」


あの時のように朔良もほんとは桜好きじゃないでしょ、とは言えなかった。楓が行かないと言ってホッとした自分を思い出す。楓を恋敵として見ているみたいだ。自信がないんだと木花に言ってすぐなのに都合がいい自分がまた嫌になる。

そもそも恋敵、なんて思う立場さえも私にはないだろう。昨日、司と出会ったことで裏切り者なんだと再認識したところなのに。やっぱり言葉にしてしまわなければ良かったと思った。口にしてしまうと実感する。言霊があるから不用意な言葉を使ってはいけないよと昔お祖母ちゃんが言っていた。きっと、間違いではないのだろう。


「俺は惰性みたいなものだからね」

「毎年毎年、連れ出して悪かったね」

「拗ねないでよ。楽しいよ。双葉と一緒なら花見も楽しい」


またそうやって朔良は私を誘惑するんだ。こういうとこ、天然たらしなのかと溜息を吐きたくなる。朔良のそんな言葉一つで私の心はそわそわと落ち着きがなくなる。それが馬鹿みたいだ。


『それでも消えなかったそれを本当に言わなくていいんですか?』


どこからか囁く声がした。私の声じゃない、木花の声。昨日言ってたことだ。昨日は自信がないからと否定したそれがもう一度私に問う。そうだよ。私、消えなかった。ずっと消したくて消えなかった。

自信がないのに、それでも傍にいたくて、今だって朔良の隣にいる。自らこの距離を手放すことだってできるはずなのに、それをできないでいる。本当に否定し続けていいの? 否定し続けても消えなかったこれを私はどこへもっていくつもりなの?


「私も楽しいよ。朔良と見る桜が一番好きだよ」


川の向こう側の桜が水面に映っている。平行した裏側に桜があるみたいで幻想的だ。あの水面を覗いたら、嫌でも醜い私が映るのだろう。桜のように私は綺麗になれない。それでも私は傍にいたいと、好きだと思うから、その気持ちは少しだけ大切にしてみたくなった。


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