恋風吹く春、朔月に眠る君


「ノックもしないで入ってこないでくれる?」


温度のない声が威嚇する。伏せた顔は髪に隠れて見えない。でも、その中から感じる視線は氷のように冷たくて、今しがた笑っていた人の面影は微動もない。


「親に向かってその態度はないだろうといつも言っているだろう!?」


頭に血の上った朔良のお父さんは顔を真っ赤にして怒っている。それさえも煩わしそうに朔良は往なす。


「あーもう、煩いなあ。分かったから。用事があるなら後で聞きに行くから今は出てって」

「その態度がおかしいんだ! お前は言うことを聞かない上に親を馬鹿にする態度が気に食わない! お前の為を思って言っているのになぜありがたみも分からないんだ!」


罵倒する声が凍り付いた部屋に響いて割れる。朔良は黙って睨みつけるだけ。どうすることもできない私はただ黙って呆然と眺めていることしかできない。


「ほんと、くだらないよね」


怒号の中で小さく呟いた。それは父親に対してか、それとも自分に対してか、はたまたどちらもか。だが、内容は朔良のお父さんには届かなかったらしい。


「言いたいことがあるならはっきり言え!」

「最初に言ったよ。出てって!」


面倒になったのか説得するのをやめて無理矢理お父さんを追い出して扉の鍵を閉めた。扉の向こうで朔良を罵倒していたが、それでも無視し続けたせいか暫くしたらいなくなった。

水を打ったように静かな部屋だ。空気が重い。肺に入った傍からその重みで苦しい。さっきまでの楽しい時間が嘘のように淀んだ時間が広がる。朔良が溜息を吐いた。


「ごめん、今日は帰ってくれないかな」


拒絶だった。私が隣にいても煩わしいだけだと言われてるようで拳を握りしめた。唇を噛みしめて、溢れそうなものを押し殺す。


「お願いだから帰って」


此方を全然見てくれない朔良を見つめる。どんな顔しているのか分からない。どうして、苦しいのに独りになろうとするのだろう。私は苦しかったら言ってほしいと何度も言ったのに、全て意味もなく拒絶される。

本当は独りになって冷静になりたいとかそういうこともあるんだってわかってる。でも、私だって聞きたいことがたくさんあるんだ。もう誤魔化したくない。ううん、誤魔化してたらだめだって分かった。ここで帰ったらきっとまた朔良は何も言ってくれない。

心配してくれてありがとうって寂しそうに言ってそれ以上は話さないことを、私は知っている。気付いてないでしょ。私が気付いたこと以上のことを朔良は一度も話したことがないことを。


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