キミはまぼろしの婚約者
えっちゃんは、私のことは覚えてくれているのかな?

もし私と会ったら、昔と同じように接してくれるんだろうか……。


「まーた律の話か」


ふいに頭上から声がしたかと思うと、キョウが私の隣にどかっと腰を下ろしてきた。

いつもの無愛想な顔で、私の真っ白なスケッチブックを覗き込む。


「全然描けてねーじゃん」

「そう言うキョウはもう終わったの?」

「俺の芸術センスがあれば10分で終わる」

「あ、そう」


何しに来たんだ。と思いつつ、のっそりとマリーゴールドの線を描き始める私。

キョウはけだるげに膝の上で頬杖をつき、こんなことを言う。


「もうさ……いいんじゃねーの? アイツに固執しなくても」


せっかく動き出した手が、またぴたりと止まってしまった。

そして、えっちゃんの声に変換されたあの文章が、頭の中で流れる。

“律のことは、忘れてほしいんだ”という一言が。


昔のことにこだわっているのは私だけ。

私だけ、なんだよなぁ……。

ぼんやりしながら黙り込む私に、ありさが優しく微笑みかける。

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