鬼常務の獲物は私!?
人を叩いたのは、生まれて初めての経験だった。
声を荒げたこともほとんどなく、私には怒りの感情が他の人より乏しいような気がしていた。
そんな私の怒る姿を見るのは、もちろん事務長も初めてのこと。
もしかしたら、私のことを怯えるだけの弱い人間だと思っていたのかもしれない。
そのイメージが崩れたことにより、彼は大層驚いていた。
眼鏡の奥の小さな瞳が見開かれ、ニヤつきはどこかへ消え去り、呆然としている。
ショックを受けている様子の彼に、涙を手の甲でグイと拭った私は言葉を続けた。
「自分の要求が通らないからといって、親や周囲に迷惑をかけるのをやめて下さい。まるで駄々をこねる子供みたいです。
私が愛しているのは彰さんだけ。あなたを好きになることは一生あり得ませんので、二度と関わらないで下さい」
怒りのままに想いをぶつけ、掴まれている左手を振りほどいた。
アッサリと離してくれたのはきっと、事務長がまだショックの中にいるせいだろう。
私が叩いた左頬がうっすら赤くなっていて、それについてはチクリと良心が痛むけれど、謝りたくはない。
溜息を吐き出してから、床に下ろしたキャリーバッグを持ち上げた。中を覗いて「お家に帰ろうね」と太郎くんに声をかける。