鬼常務の獲物は私!?
「ふん、鈍臭い奴め。我が社の汚点だな」
『鈍臭い』という言葉は昔から言われ慣れているので傷ついたりしないけど、『我が社の汚点』とまで言われたのは初めてで、心にグサリと突き刺さった。
入社して五年、とろい自分なりに努力してきたつもりなのに、それはひどい……。
キツイ言葉を浴びせた神永常務の後ろには、高山さんという第一秘書の男性が立っていた。
年齢はたしか、三十九歳。
第二秘書は長続きせず、短期間でころころと代わるらしいのに、第一秘書の高山さんだけは、私が入社して以来ずっと常務の傍に立ち続けている。
そんな高山さんの腕には、神永常務のものと思しきコートと鞄があった。
これからどこかに出掛けるところなのだろう。
それでも常務はまだ叱り続けていた。
「仕事をなめているのか? 出来損ないなら尚のこと努力する姿勢を――」と、非難の言葉は止むことを知らない。
萎縮した私は、「すみません」と繰り返すのみ。
ひたすら耐える状況が数分続くと……やがて常務の怒りの矛先は、他の社員にも向けられてしまった。
「お前らもだ。仕事中にヘラヘラしやがって。うちの営業部は馬鹿の集まりなのか?」
私はたしかに鈍臭い出来損ない。
でも他の人は違うから、叱らないでほしい……。
そう思い、縋る視線を彼の後ろに向けると、高山さんがやっと止めてくれた。
「そこまでにしてください。恒星病院理事長とのお約束の時間に遅れてしまいます」
チッと舌打ちが聞こえた。
イライラを消さないままに、常務は背を向け歩き出す。
「通りすがりに笑い声が聞こえたから、大口の仕事でも取れたのかと思いきや、のろまな女が寝転んでいるだけとはな……。
おい、福原日菜子」
フルネームで呼ばれたことに驚いて、「ひゃい!」と変な返事をしてしまった。
ドアの前で一度足を止めた神永常務は、肩越しに振り向くと、冷たい目で私を睨んだ。
「次に俺の前で、無様な姿を見せたらどうなるか……よく考えろよ」
それって、つまり……次になんらかの失態をやらかしたら、クビにするぞという意味で……。
サアーッと血の気が引く音を聞いた。
青ざめる私と、怯えてなにも言えない他の社員を残し、彼は営業部から出ていった。
コツコツと響く革靴の音が遠ざかり、聞こえなくなると、やっとみんなが息を吐き出して、思い思いに喋り始めた。
「あー、びびった。まさか神永常務が現れると思わなかったよ」
「相変わらず怖いな。社長の方がまだ怖くない。それにしても、なんでいつもあんなにピリピリしてんだろ」
「おーい、みんな、お喋りはそこまでにして、残りの仕事片付けちゃって。こんな日はさっさと帰らないと、戻ってきた常務にまた怒られるぞ」