鶴八
鶴八
地元で40年以上に渡って愛され続けてきた洋食屋が閉店することになった。
僕も例に漏れず、子供の頃から身近にある店で、何かと思い出深いこの店がなくなると聞いて、感慨深い物があった。
僕が産まれてもう36年。
36年もあれば、色んな出会いと別れがある。
その中には、いくら大事に思っていてももう二度と会えなくなる別れだってある。
そんな、「もう二度と会えなくなるモノ」に、今まで幾度か直面する時、僕には必ず思い出す場所がある。
高校を卒業してから僕は、途方もない、雲をつかむような夢を叶えたくて、大阪で貧乏な一人暮らしていた。
不定期な生活をしていたため、融通のきく、それでいて、なるだけ給料の良いアルバイトをする傍ら、夢に向けて日々を生きていた。
ある休みの日、地元にある、デパートと言うには少し小さい複合ビルにある本屋で買い物を済ませた後、昼も少しすぎていたので、そのビルの4階にある食道街を覗いてみることにした。
いくつか軒を連ねる飲食店を見渡してみると、一件の焼肉店があった。
店の名前のは「鶴八」。
アルバイトの給料が出たばかりだったし、ランチメニューがあって比較的安く抑えられそうだったので、その店に入ることにした。
一度その店に入ると、今までの賑やかな複合ビルの雰囲気から一変し、こじんまりとした、オーソドックスな焼肉屋さんだった。
店員さんは、背は低いが横にはデカい、「ザ・大阪のオバチャン」的なおばちゃんと、キッチンに、おそらくその人の旦那さんであろう、おばちゃんの半分ぐらいしか無いんじゃないかと思える、細身のおじさんの二人だった。
おばちゃんに注文を告げ、運ばれてきたハラミ定食だかを食べた。
当時はまだ若く、肉はいくらでも食べられたし、なにより、ここのところ、忙しいあまり、いつも適当な食事で済ませていた僕にとって、美味く無いわけがなかった。
生来の貧乏性で、一枚の肉に対して、いかに多くの白飯を食うか。その癖がついていた僕は、定食というシステムを忘れ、ペース配分を誤った。
肉は数切れ残っているのに、白飯はもうほとんど無い。大げさにも、ある種の絶望に近い感覚に苛まれ、どうしようかと少し考えていたとき、不意に横から、
「ご飯おかわり入れよか?」
と聞こえてきた。
その声の方向を見ると、隣のテーブルに座って、雑誌を開いた店のおばちゃんが、こっちを向いている。
これまた大げさにも、天から蜘蛛の糸が降りてきて救われる自分を想像すると同時に、客がいるのに店のテーブルに座り雑誌を読んでいるユルさにツッコミを入れそうになりながらも、どことなく安堵の気持ちが湧いてきた。
もちろんおかわりを頼み、食事を再開した。
おばちゃんはおかわりを運んできてくれて、そのまま隣のテーブルでまた雑誌を読んでいたが、気にとめず食事を続けた。
食べ終わり、満足感でいっぱいになった頃、ちょうど読んでいた雑誌に飽きたのか、おばちゃんが話しかけてきた。
「兄ちゃん、男前やな。」
思わず吹き出しそうになったが、昔からおばちゃんにはやたらモテるという、本来の目的からハズレた、少々残念なスキルを持っていた僕は、冗談混じりにおばちゃんと会話を続けた。
「あんまり見ぃひん顔やけど、どっかから遊びに来たん?」
と言われたので、自分の状況を話した。
会話も一段落し、帰るときには「またおいでや。」と笑顔で送り出してくれた。
一人暮らしで知り合いと呼べる人間が周りに居なかった僕にとって、おばちゃんのその一言はとても嬉しかった。少し、この街に受け入れられた気がした。
それから僕はその店にちょこちょこ顔を出すようになった。
その度に、おばちゃんはいつも嬉しそうに迎え入れてくれて、僕も自分の近況を話したりした。
僕に彼女が出来、その店に連れていったときなんかは、我が事のように喜んでくれ、かわいい彼女だと大騒ぎをし、挙げ句の果てには
「この子をよろしく頼むで!」と、なぜか彼女にお願いしていた。
僕も彼女も、思わず苦笑いをしていたが、屈託の無いおばちゃんの笑顔に、彼女は少し照れながらも、嬉しそうにしていた。
それから月日は過ぎ、僕がいつものように店に行き、食後におばちゃんと話していると、不意に、
「兄ちゃん、この店、今月末で閉めることにしてん。」と言った。
僕は驚きのあまり、少し声を失ったが。
聞けば、おばちゃんは足があまり良くないらしく、今まで騙し騙し店を続けてきたものの、とうとう入院して手術をしなければならないところまで来てしまったと言う。
自分の子供達もそれぞれ独立し、家族ももっていることだし、これを機に店を閉めて隠居するのだと。
「良かったら閉めるまでにまた食べにきてや。いっぱいサービスするで。」
帰り際に少し寂しそうな笑顔でおばちゃんはそう言った。
その日、僕はその事を彼女に話した。
すっかりおばちゃんとも仲良くなっていた彼女も凄く寂しそうにしていたが、今までのお礼の意味も込めて、二人で行くことにした。
鶴八閉店の当日、僕と彼女は近所の花屋で花束を買い、その足で店に行った。
するといつものようにおばちゃんは笑顔で迎えてくれ、二人で来たことを凄く喜んでくれた。
花束を渡すと照れ隠しの冗談を言いながらも、嬉しそうに受け取ってくれた。
「いっぱいサービスするで。」の言葉通り食べきれないほど色々出してきてくれて、僕たちの鶴八での最後の食事は終わった。
帰り際、おばちゃんが僕たちに、「いっつも来てくれてありがとうな。
二人とも、ずっと仲良くしなあかんで。」と言ってくれた。
僕も「おばちゃんも元気でね。」と言おうとしたが、「おばちゃんも」のところで今までの思い出と涙が込み上げてきて、ちゃんと言えなかった。
それでも、おばちゃんは優しく笑顔で僕たちを見送ってくれた。
それからしばらくして、鶴八のあった場所に行ってみると、永年のお礼と閉店の報告を書いた紙が入り口に一枚貼ってあり、当然暗いままの店内にはに明かりがつくことも、ドアが開くこともなかった。
それから何年も過ぎ、その中で僕は、彼女とも別れる事になり、夢を叶えることもないまま、大阪を離れ、それでも、今を生きている。
おばちゃん、おばちゃんに言われた、「二人とも、ずっと仲良く」ってのは守れなかったけど、それぞれ良い仲間に恵まれて、毎日を生きています。
おそらく、もう二度と会えないけど、どこかで今も笑顔でいてくれていることを願ってます。
男前の兄ちゃんより。
僕も例に漏れず、子供の頃から身近にある店で、何かと思い出深いこの店がなくなると聞いて、感慨深い物があった。
僕が産まれてもう36年。
36年もあれば、色んな出会いと別れがある。
その中には、いくら大事に思っていてももう二度と会えなくなる別れだってある。
そんな、「もう二度と会えなくなるモノ」に、今まで幾度か直面する時、僕には必ず思い出す場所がある。
高校を卒業してから僕は、途方もない、雲をつかむような夢を叶えたくて、大阪で貧乏な一人暮らしていた。
不定期な生活をしていたため、融通のきく、それでいて、なるだけ給料の良いアルバイトをする傍ら、夢に向けて日々を生きていた。
ある休みの日、地元にある、デパートと言うには少し小さい複合ビルにある本屋で買い物を済ませた後、昼も少しすぎていたので、そのビルの4階にある食道街を覗いてみることにした。
いくつか軒を連ねる飲食店を見渡してみると、一件の焼肉店があった。
店の名前のは「鶴八」。
アルバイトの給料が出たばかりだったし、ランチメニューがあって比較的安く抑えられそうだったので、その店に入ることにした。
一度その店に入ると、今までの賑やかな複合ビルの雰囲気から一変し、こじんまりとした、オーソドックスな焼肉屋さんだった。
店員さんは、背は低いが横にはデカい、「ザ・大阪のオバチャン」的なおばちゃんと、キッチンに、おそらくその人の旦那さんであろう、おばちゃんの半分ぐらいしか無いんじゃないかと思える、細身のおじさんの二人だった。
おばちゃんに注文を告げ、運ばれてきたハラミ定食だかを食べた。
当時はまだ若く、肉はいくらでも食べられたし、なにより、ここのところ、忙しいあまり、いつも適当な食事で済ませていた僕にとって、美味く無いわけがなかった。
生来の貧乏性で、一枚の肉に対して、いかに多くの白飯を食うか。その癖がついていた僕は、定食というシステムを忘れ、ペース配分を誤った。
肉は数切れ残っているのに、白飯はもうほとんど無い。大げさにも、ある種の絶望に近い感覚に苛まれ、どうしようかと少し考えていたとき、不意に横から、
「ご飯おかわり入れよか?」
と聞こえてきた。
その声の方向を見ると、隣のテーブルに座って、雑誌を開いた店のおばちゃんが、こっちを向いている。
これまた大げさにも、天から蜘蛛の糸が降りてきて救われる自分を想像すると同時に、客がいるのに店のテーブルに座り雑誌を読んでいるユルさにツッコミを入れそうになりながらも、どことなく安堵の気持ちが湧いてきた。
もちろんおかわりを頼み、食事を再開した。
おばちゃんはおかわりを運んできてくれて、そのまま隣のテーブルでまた雑誌を読んでいたが、気にとめず食事を続けた。
食べ終わり、満足感でいっぱいになった頃、ちょうど読んでいた雑誌に飽きたのか、おばちゃんが話しかけてきた。
「兄ちゃん、男前やな。」
思わず吹き出しそうになったが、昔からおばちゃんにはやたらモテるという、本来の目的からハズレた、少々残念なスキルを持っていた僕は、冗談混じりにおばちゃんと会話を続けた。
「あんまり見ぃひん顔やけど、どっかから遊びに来たん?」
と言われたので、自分の状況を話した。
会話も一段落し、帰るときには「またおいでや。」と笑顔で送り出してくれた。
一人暮らしで知り合いと呼べる人間が周りに居なかった僕にとって、おばちゃんのその一言はとても嬉しかった。少し、この街に受け入れられた気がした。
それから僕はその店にちょこちょこ顔を出すようになった。
その度に、おばちゃんはいつも嬉しそうに迎え入れてくれて、僕も自分の近況を話したりした。
僕に彼女が出来、その店に連れていったときなんかは、我が事のように喜んでくれ、かわいい彼女だと大騒ぎをし、挙げ句の果てには
「この子をよろしく頼むで!」と、なぜか彼女にお願いしていた。
僕も彼女も、思わず苦笑いをしていたが、屈託の無いおばちゃんの笑顔に、彼女は少し照れながらも、嬉しそうにしていた。
それから月日は過ぎ、僕がいつものように店に行き、食後におばちゃんと話していると、不意に、
「兄ちゃん、この店、今月末で閉めることにしてん。」と言った。
僕は驚きのあまり、少し声を失ったが。
聞けば、おばちゃんは足があまり良くないらしく、今まで騙し騙し店を続けてきたものの、とうとう入院して手術をしなければならないところまで来てしまったと言う。
自分の子供達もそれぞれ独立し、家族ももっていることだし、これを機に店を閉めて隠居するのだと。
「良かったら閉めるまでにまた食べにきてや。いっぱいサービスするで。」
帰り際に少し寂しそうな笑顔でおばちゃんはそう言った。
その日、僕はその事を彼女に話した。
すっかりおばちゃんとも仲良くなっていた彼女も凄く寂しそうにしていたが、今までのお礼の意味も込めて、二人で行くことにした。
鶴八閉店の当日、僕と彼女は近所の花屋で花束を買い、その足で店に行った。
するといつものようにおばちゃんは笑顔で迎えてくれ、二人で来たことを凄く喜んでくれた。
花束を渡すと照れ隠しの冗談を言いながらも、嬉しそうに受け取ってくれた。
「いっぱいサービスするで。」の言葉通り食べきれないほど色々出してきてくれて、僕たちの鶴八での最後の食事は終わった。
帰り際、おばちゃんが僕たちに、「いっつも来てくれてありがとうな。
二人とも、ずっと仲良くしなあかんで。」と言ってくれた。
僕も「おばちゃんも元気でね。」と言おうとしたが、「おばちゃんも」のところで今までの思い出と涙が込み上げてきて、ちゃんと言えなかった。
それでも、おばちゃんは優しく笑顔で僕たちを見送ってくれた。
それからしばらくして、鶴八のあった場所に行ってみると、永年のお礼と閉店の報告を書いた紙が入り口に一枚貼ってあり、当然暗いままの店内にはに明かりがつくことも、ドアが開くこともなかった。
それから何年も過ぎ、その中で僕は、彼女とも別れる事になり、夢を叶えることもないまま、大阪を離れ、それでも、今を生きている。
おばちゃん、おばちゃんに言われた、「二人とも、ずっと仲良く」ってのは守れなかったけど、それぞれ良い仲間に恵まれて、毎日を生きています。
おそらく、もう二度と会えないけど、どこかで今も笑顔でいてくれていることを願ってます。
男前の兄ちゃんより。