ドルチェ セグレート
「遥。あ、もうそんな時間か?」
 
神宮司さんは、ハッとした様子で顔を上げて掛け時計を確認する。
遥さんは、頭を軽く掻きながら、申し訳なさそうに言った。

「いや。ごめん。早く来ちゃった……邪魔だった?」
「そんなことないです!」
 
神宮司さんが口を開くよりも先に、私が勢いよくその場に立って否定する。
ふたりの注視を浴びながら、自分の荷物をサッと拾い上げて一礼した。

「これから、遥さんとお仕事なんですね。長居してすみません。私、失礼します」
「えっ、ちょっ……」
 
引き留めるように声を上げた神宮司さんを見ないように、私は遥さんの立つ出口へと小走りで向かう。
足を靴に突っ込むと、その勢いのまま休憩室を後にした。
 
裏口を使ったことは一度もないけど、私は迷わずに右に曲がり、その通路へと向かう。
途中、厨房に繋がるドアがもうひとつあることに気づき、足を止めた。
 
ドアの小窓はちょうど私の目の高さ。
ドアの向こうを見てみると、清掃が行き届いた厨房の調理台の上に、さっき彼女が渡していた、フランスショコラ店の袋が目に飛び込んできた。

「明日香ちゃん!」
 
そこに、追いかけてきた神宮司さんに呼び止められ、小さく飛び上がった。

「ごめん。遥が早くきただけで、そんな慌てて帰らなくても」
「いえ。すみません。私も伝えてなかったですね。これから約束があって」
 
真横に立つ神宮司さんの顔を見ることが出来ない。

お辞儀でカムフラージュしながら、引きつった笑顔を隠す。
爪先は気持ちと連動して、すでに裏口へと向かい掛けていた。

「なので、私はこれで。なにも役立てずにすみません」
「そうなんだ。いや、ハッキリ意見言ってくれてうれしかった」
「じゃ……」
 
せっかくのお礼の言葉も、今は素直に聞くことが出来ない。
 
今の私は、ただこの場から早く立ち去りたい。
 
この醜い笑顔を見せられないし、あの子の姿がチラつくこの空間から一秒でも早く離れたい。
走り出したい衝動を堪え、裏口から外へ出る。

裏口が完全に閉まると、化粧砂利の上を思い切り駆けて行った。
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