雪降る夜に教えてよ。
夜桜
「いゃぁぁぁあああ!!」
目に映るのは長い髪。振り上げられたのは木製のバット。
「いや! 何もしてない! 私は何もしてない!」
目を塞ぐと暗闇が、それすら耐えられなくて目を開く。
グラグラと揺れる裸電球。与えられたのは激しい痛み。散乱した白い紙に映る赤い点々。泣き叫ぶあの人と、タイル張りの無機質な床。
そしてどこか遠くで叫ぶ声。女性の声のような気もするし、低い男性の声にも聞こえる。
だけれど自分の叫び声にかき消され、よく聞こえない。聞きたくない。聞きたくないけれど聞こえてしまう。
ぐいっと唐突に暖かいものに包まれて、聞こえてきたのは、とても低くて、とても通る声だった。
「早苗! しっかりしろ! もう大丈夫だから!」
その声に、目を見開いて顔を上げた。
まず、目に飛び込んで来たのは桐生さんの澄んだ瞳。力強くて真っ直ぐな……綺麗な瞳。
呆然と回りを見渡して、警備員さんと、浅井さんに取り押さえられている加藤くんの姿。
ああ。大丈夫だ。なんの根拠もないけれど、何故かそう思った。
唇にそっと何かがあたり、ふと視線を落とすと桐生さんがハンカチで唇の端をぬぐってくれている。
水色のハンカチに見える赤いものは紛れもなく私の血。ゆっくりと私を包んでいたいたぬくもりが離れていった。
桐生さんがスマホを取り出して、どこかに連絡を始める。そして誰かと話しながら、私の顔を見て顔を歪ませた。
大丈夫、痛くはない。だけどハンカチは受け取って、ふらりと立ち上がる。
「秋元さん!? まだ動かない方が」
浅井さんの声に、ぼんやりとそちらを振り返った。
「大丈夫です。オフィスにいます」
それだけ告げて私はふらふらと来た道を戻り、オフィスに入ると、そのまま自分の席に座る。
ちょっとブラウスが破けているくらいで、唇以外に怪我はない。
うん。私は無事だった。多分これはいいこと。
しばらくぼんやりとしていると、カチャリと小さな音に顔を上げる。桐生さんがオフィスに入って来た。
「……正気かな?」
「だと思います」
下げられた視線のやるせなさに、ふと手をあげると、その手を桐生さんはそっと掴んだ。