ウサギとカメの物語 番外編
翌日の午後、予定通りに私とカメ男はヤツの実家へ健悟を引き取りに行った。
1日空いただけなのに、何ヶ月も会っていなかったような感覚になって。
我が子が愛しくてたまらなくなった。
私っていったいなんなんだろう。
女だったり母だったり、自分でも忙しいと思う。
帰り際、やれオムツ交換だ、やれ授乳だ、やれ着替えだ、とパタパタと走り回る私を見て、お義父さんやお義母さんが「もう少し落ち着いて、梢ちゃん!」と笑っていた。
十分落ち着いているつもりなのだけれど。
おかしいな。
アパートへ向かう車の中で、運転中のカメ男の背中に後部座席から得意のマシンガントークを浴びせた。
「柊平、オムツ買い足したいから帰りにお店寄ってくれる?あ、そうだっ、帰ったら昨日もらった引き菓子のシフォンケーキ食べない?そうなるとホイップクリームも欲しくなってくるわね。よし、このままどこかスーパー寄っちゃおうよ!ね、知ってる?スプレーみたいな缶に入ったホイップクリームあるんだよ!それ買おうよ!ノンカフェインの紅茶も買ってー!」
「………………ウン」
ヤツはたった一言の返事で私のトークを終了させてしまった。
いちいち細かく返事をするよりも、一言で済ませる方が早いことを数年で悟ったのだ。
こいつは会話を弾ませようとかそういう気持ちにはならないのかね。
スーパーの駐車場で、カメ男が健悟を抱っこしてゆったりと歩き出す。私はその隣を、ヤツの歩調に合わせて歩く。
いつか3人で並んで歩くようになっても、ヤツののんびりした速度に合わせることになるのかな。
もしかしたら健悟がちょこまか動いて、それをカメ男が懸命に追いかけたりして。
ひとりで想像して吹き出した。
「柊平って、どんな時に幸せを感じるの?」
やっぱりボルダリングやってる時?
なーんて、適当なことを思っていたのに。
ヤツの返答は違っていた。
「今」
「え?なに?」
「今。今が幸せ。それが毎日更新されてる」
カメ男は健悟に話しかけるようにボソボソとした口調でそう言ったあと、立ち止まった私に小さく微笑んだ。
「私も、今が一番幸せ」
抑え切れない笑顔をこぼしながら、私はヤツに追いつくと寄り添うようにして歩いた。
毎日、少しずつ増えていく幸せ。
それが、私たちのカタチ。
おしまい。