天の神様の言う通り
白羽の矢
「冴子、すまない……」
 最期の時まで、己より残してゆく娘を憐れんでいた父。幼い日に母を亡くしてからというもの、父子二人、力を合わせ生きてきた。たった、二人きりの家族。
 そんな父の死を、容易く受け入れられるはずがない。十日経った今でも、冴子は日常を取り戻せずにいた。
 この日も、先日まで向かいに座っていたはずの父を思い、自身の作った煮魚を口に運ぶ。甘辛く煮た魚の身が、口の中でほろりとほどけた。
「……塩焼きにしても良かったのに」
 溜め息が漏れる。
 あまりの落ち込みぶりを見かねた近所のおじさんが、持ってきてくれた川魚。
 御三どんを任されていた冴子は美味しい上、手間もかからない塩焼きの方が好みなのだが、父の希望は毎度これだった。
 もはや魚が手に入ると定番的に作る一品。父亡き今も無意識に作ってしまった。
 冴子は、決して広くはない我が家を見渡す。
 重ねられた茶碗、並んだ草履。医師をしていた父の仕事道具たち。そして家に染み込んだ薬の臭い……そこかしこに宿った思い出の欠片が、冴子の胸を打つ。
 「私は……立ち直れるのかしら」 
 今は、全く想像できない。
 ここには思い出が多すぎる。

 チリン チリン

 「?」
 傷心の冴子の耳に、澄んだ鈴の音が響く。
 テンポの良い太鼓に笛が続く。お囃子。
 そして人の気配。
 こんな夜分に、祭りでもあるまい。そもそも、村の祭りはまだまだ先だ。
 ならば、これは何なのだろう。
 喧騒は次第に大きくなる。近づいてきているのは、明らかだった。

 めでたや めでたや 道開け
 麗し乙女や 何処かに

 言葉はまるで歌のように、或いは呪文のように、繰り返される。
 そして、いよいよ間近かと思われた辺りで、先までの騒がしさが嘘のように、ピタリと止んだ。
 「夜分に失礼」
 静寂を破る声。
 冴子は体を強張らせた。
 中性的だが、おそらく男のもの。決して大きくない。しかし、良く通る声。
 「戸を開けてくれ」
 冴子は「仰せのままに」と、警戒なく戸を開けるような教育はされていない。むしろ用心を怠るなと口が酸っぱくなる程、父には言われてきた。
 けれど、父の教えがなくとも警戒しただろう。
 この訪問者はどう考えても普通じゃないから。
 「怖がらなくていい。悪いようにはしない」
 『私はいません。ここには誰もいません』
 冴子は心の中で繰り返す。居留守を決め込むことにし、部屋の隅に縮こまった。諦めてほしい。
 しかし生憎、向こうは普通じゃないのだ。
 「おい、いるのは分かっている! 開けないと、この家を破壊するぞ!」
 「!」
 先程までとは、打って代わって脅しめいた怒声が響き渡る。
 「脅しじゃないぞ。俺はやるといったらやる!」
 冴子はびくりとした。
 理不尽だと思いつつも、直観的に相手の本気を感じ取った。
 父との思い出が詰まった家。それに、この家がなくなれば、現実問題、どうやって生活していけばいい?
 追い詰められた兎の気分。冴子に選択の余地はなかった。
 立ち上がり、恐る恐る戸へと近づく。震える手を伸ばし開いた。
 最初に目に飛び込んだのは、牛車。
 けれど、冴子はこれ程立派なものを見たことがない。田舎の村医者の娘程度では、一生お目にかかることがないはずの、一目見て高貴な身分のお方が乗るものと分かる豪奢な車。
 そして、微かに漂う上品な香の薫り。
 それを取り囲む家来達は、見るからに上等な生なりの着物を揃いで纏い、鼻から上には獣の面。なんのことはない面だが、感情のない多くの面が揃ってこちらを向いている姿は、はっきりいって不気味だ。
 幾人かは鳴り物を持ち、彼らがお囃子の担い手だというのが分かった。
 目の前に広がる光景は雅で、だからこそ異様。
 その全てが、田園風景広がるのどかな田舎の村には不釣り合いだった。
 冴子はただ茫然と眺めた。
 「やっと出てきたか」
 主とおぼしき声が、牛車の御簾の向こうから聞こえてくる。
 「……お前、いくつだ」
 不躾に問う。
 「……」
 冴子は何を言われたのか、すぐには理解できなかった。思考が停止している。目前の光景に完全に飲まれていた。
 しかし、相手は冴子の困惑などお構いなしに、苛立ちも顕に急かした。
 「お前の口は飾りか。歳を早く答えろ」
 「え、あ……じゅ、十八で、す」
 絞り出すように声を出す。
 「ふん。もっと年増かと覚悟していたが、これなら……」
 値踏みするような言葉。
 「あの……?」
 冴子は胸を手で押さえながらおずおずと言った。
 これ程、派手な一団だ。村人が気付かないはずがない。小さな村では、誰もが顔見知り。親しい顔が一つでもあれば、冴子の心もいくらか落ち着くのだが。確かに冴子の家は、薬草採取等の利便性もあり村の外れにあるが、誰の姿も見えないのは、なぜか。
 何もかも理解不能。
 兎に角、この状況の説明がほしい。
 「これは……?」
 そう尋ねるだけでも、冴子には精一杯の勇気だった。
 ひどく短い質問だったが、幸い相手には伝わったようだ。
 「屋根を見ろ」
 「……屋根?」
 言われるがまま冴子は目を向けた。
 「あ」
 屋根から何か生えている。冴子は目を凝らした。
 あれは。
 「……矢?」
 白い飾り羽根を付けた矢が、家の屋根に刺さっているのだ。
 「白羽の矢だ」
 「白羽の矢」
 復唱しながらも、意味を模索する。
 「神託だ」
 「し、神託」
 知らない言葉の連続。
 「分かるか?」
 冴子は首を振る。
 御簾の向こうから溜め息と「なぜ、こんな娘が」という呟きが聞こえた。
 「二日前、神が私の夢を訪れた」
 「……神様が?」
 冴子は神様に会ったことはない。
 しかし、人智を超えた存在がいることは知っていた。
 時々、医者の父には手に負えない患者がいた。それは、重症だからではない。彼らは呪に犯されていたのだ。
 そんな患者は、父から呪術士へと委ねられ、呪を祓う。
 冴子はたった一度であるが、その光景を目の当たりにしたことがあった。
 どす黒い煙のようなものが患者の体から噴出し、消えた。
 それは禍々しいものであったが、同時に、そういった類いの存在が実在することを強く感じた瞬間でもあった。
 「念を込めた白羽の矢を放ち、刺さった家の女を妻として迎えよ」
 「……は?」
 冴子は頭の中で、今の言葉を反芻する。
 「そう神は私に告げた」
 「……ちょ、ちょっと待ってください?」
 『今、何と言いました?』
 冴子は目が点になり、次いで見開いた。
 「一緒に来てもらうぞ」
 「いやいやいやいや!」
 当たり前のように告げる相手に、思いきり首を振る。
 「いやじゃない」
 「あの、だって無理です!」
 今まで、これ程のパニックに陥ったことがあっただろうか。否、ない。
 「痛!」
 冴子は思わず後退し足が縺れ、尻餅をついた。
 「私は、そんなの……急に言われても……」
 言いながら、先程流したのとは別の涙が滲む。
 しかし、相手は無情な言葉で、冴子の意志を切り捨てた。
「お前の意志など、聞いていない。来るんだ」
 それを合図に、伸ばされた無数の手。 
 多勢に無勢。冴子に抵抗する術などなかった。

 「冴子?」
 それから二日後。あまりにも姿を見せない冴子を心配し、幼馴染みが家を訪ねた。
 「冴子?」
 返事はない。静まりかえった家。机には冷えきった魚の煮付けが置かれたままになっていた。なにもかもそのまま。冴子だけが忽然と消えてしまったように。

 そして、幾日待っても冴子が帰ることはなかった。
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